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2007-07

もう夏

毎年夏になると、夏らしいことをしておかないとなんだか勿体ないような気がする。
かといって海とかプールに入りたいとは思わないけど。
去年は夏の日差しにスーツは鬼だという印象だけで、いつの間にか夏が終わっていた。

とりあえず花火を観に行く予定はできたので、今年はそんな状態はないと思う。
そんなふうに意外と青臭い自分もいて、常に醒めている(醒めていたい)自分像と少々葛藤する。
相変わらずメンドクサイ自分の脳である。

ちなみに、冬に冬らしいことをしたいとは全く思わない。

品格2.0

これまでの伝統や美意識を今一度見直し、それらを流行の「向こう側」に置いて誰もが手軽に取り戻せるようにしようという新たな潮流。しかし、本来祖国の歴史に培われてきたはずの「品格」がリテラシーの低い者でも利用・編集できるという敷居の低さと双方向性のゆえに安易に改変され、「何だか良く分かんないけど威厳のありそうな先進的っぽい」印象を与えるものとして濫用されている傾向がある。

けだるい夏の夕暮れ

ここ数日、強い日差しが照りつけ、いよいよ夏らしさを感じられるようになった。
傾いた陽を直視できるようになった頃というのは、目に見えるものの色相が偏るのと同時に、まだ空気中を漂う煮えた暑さによってコンクリートもアスファルトもメルトダウンしてる感じで、そんな全ての輪郭がぼやけていている感覚が好いと思った。
自分も世界に溶け出していくような感じがする。

そんな暑さの中、今日もPCという名の放熱マシンをフル稼働させているわけで、私の頭も少々メルトダウン気味だ。おそろしく眠気が襲ってくる。長時間眠った後でも、気がつくとうとうとしている。
仮眠を取ってみたら汗だらだらのまま何時間も眠っていたりする。目が覚めたときのだるさといったらないが、それもまた好い。PCのファンの音が蝉の声に聞こえる。

タイトルに反してこの記事を書いているのは、頭の冴える丑三つ時。

苦悩の原因

私はすべてをゆるしたい。
しかし、私はゆるす立場になく、ゆるしを請う立場にいる。
それが苦悩の原因の一つであろう。

ネガティブな執着

「ほしい」は欲望、「したい」も欲望。
「ほしくない」は非欲望、でも「したくない」は非欲望ではなく欲望だ。

この「したくない」という欲望を捨て去るのは難しいように思う。いや、現に難しい。
これは「ほしい」と「したい」の性質の違いによるのであろうか。

人は何を「ほしい」と思うだろうか。
物、金、名声、地位、権力…
これは他者との取り決めによって発生する、社会的な欲望である。
社会によって価値ありと規定され、それを信じているから「ほしい」と思う。

人は何を「したい」と思うだろうか。
これは感情に基づくものに思われる。
食欲、性欲、睡眠欲の三大欲求もすべて「ほしい」ではなく「したい」で表現される。
「水がほしい」とも言うが、飲むという行為を前提にしているのであって、価値を見出しているわけではない。

「したい」はそれが満たされた瞬間に快楽を伴う。だから快楽が伴うことを経験的に知っていなければ、「したい」とは思わない。まさか吸ったことのないマリファナを吸いたいとは思うまい。それでもほしいと思うのは好奇心である。
一方で「ほしい」は「それは快楽が伴うはずだ」という価値の設定により発生する。多分に仮想的だ。

ゆえに、社会的価値を相対化してしまっても、
「したくない」という執着は容易に消え去らないのである。

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選挙後の安倍首相に期待する一言

「待て、これは公明の罠だ」

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