Home > Archives > 2007-07

2007-07

PCに向かいすぎると

まだ梅雨が明けきっていないわけだけど、そろそろ暑中見舞いを書こうかと思う。

住所録の管理は当然ながらPCなわけだけど、葉書には手書きで書きたい気がする。
いや、正確にはPCで印刷の設定をするのが面倒くさいので、手書きで済ませたい。もちろんそんなの大した設定じゃないし、手書きのほうが絶対時間がかかるんだけど、モニタごしの作業に飽きてきてる。
出す数もしれたものだしね。

別にいいことなんかなくていいもん

別にいいことなんかなくていいもん
あってもいいけど

一青窈 『一思案』(詞:一青窈)

「なくていいもん」という表現は少々投げやりだが、要するに期待しないということ。
「こうあってほしい」という願望が強すぎると、実現しなかったときに失望に変わる。失望は怒りや悲しみを伴いうる。

「あってもいい、でも別にそうでなくてもいい」という態度でいれば、実現しなくてもそれが当然。仮に実現すれば望外の喜びとなる。
特に他人に対してはそうあるのが良い。「君に期待している」というのは一見前向きで良さそうなニュアンスだが、その期待に外れれば幻滅を招くのである。せっかく期待したのに・・・って、あなたが勝手に期待して勝手に落ち込んでいるだけでしょ。おまけに「期待に応えなければ」などという強迫観念を呼び覚まさずにはおかない。

だから、期待しないというのが幸福の道なのだと思う。それは換言すれば、執着をなくすということだ。
夢を持つこと、希望を抱くこと、諦めないことが賛美されるのを考え直したい。

これは、以下の書籍の感想でもある。
この世の悩みがゼロになる

件の歌が収録されているアルバムはこちら
一青想

何歳までに結婚するか

「何歳までに結婚するか」という命題そのものに疑問を感じるこの頃。
「結婚したい」というのが目的語を伴わずに使用されることに違和感を覚える。具体的な相手がいてはじめて、結婚したいかどうかの議論が成り立つような気がするのだが・・・
「俺もそろそろ身を固めるかな」という台詞も意味が分からない。その必然性を説明してほしい。

そんなことを考えていくと私は結婚したい欲求が全然ないらしいということを最近自覚してきた。結婚したくなったら(したいと思う相手がいたら)するという方向でいくことにしようと思う。結婚しない人生もそれはそれで構わないのではないか。

とは言いながら、愛や肉欲への渇望から解放されるほど脱俗できているわけではないところが悩ましい。それでも、この種の煩悩を捨て去ろうという意志もまた皆無である。

そういえば、「恋愛したい」というのが目的語を伴わないことには同意できてしまうことに気がつく。
私が今のところ結婚に何も求めておらず、むしろ縛られたくないと思っているだけかもしれない。そんな風に醒めている自分が好きだったりするのだからしかたがない。

動物化するポストモダン

私は今まで自分をオタクの端くれであると自覚してきたが、そうではないことが分かった。少なくとも、私は(私が属すべき1980年前後生まれで構成される第三世代の)ポストモダンなオタクではないということが、この本を読んで明晰に分かった。

私はガンダムオタクを自称しているが、モビルスーツの個々のモデルやキャラクターの細かい設定にはそれほど興味はない。私がガンダムに求めているのは、ニュータイプを軸とした富野由悠季の作り出した世界観である。人間とは何か、どう生きるべきか、という価値観に興味を持ち、この社会について論じるときもしきりにその世界観を参照していたりする。
それはまさに、本書で言うところの「大きな物語」の消費である。近代において機能してきた大きな物語は既に崩れたことには明晰に気づいているが、私はたとえばガンダムにその大きな物語に替わる物語を求めようとしていたのである。
その意味で、私のオタク性は第一世代(1970年前後生まれ)のオタクに近いと言えるかもしれない。

一方で、ポストモダンなオタクは大きな物語を求めることをしない、と東氏は言う。
彼らは快楽的感情を起こさせる設定をデータベース化し、そのデータベースから設定を組み合わせることで作り出されたシュミラークルに没入して楽しみを得る。本書の例示を使って分かりやすく言うなら、彼らは自分の「萌え要素」をデータベースとして分類整理し、アニメやゲームの作品中ではその萌え要素に従って萌えるのである。彼らは、何に萌えるのかを分析できるほど冷静であり、それが虚構であると知っている。だが、それでいながらその萌えに本気で没入できるのである。

この論は、私のオタクの友人たちを観察していれば実に良く分かる。彼らは現実と虚構を取り違えるほど倒錯してはいない。むしろ、二次元に没入していることについて、自虐的なジョークをかますくらい冷静に見つめている。
さらに私の実体験と照らし合わせてみると、現実的には意味がないことだと分かっていながら、ごく自然にそれらのサブカルチャーを楽しむことが出来るというオタクの姿にも納得がいく。限りなく変わりばえのしない特撮の戦隊モノやロボアニメを好んで視聴する彼らの傾向がまさにそれである。
そして、このポストモダンの性質を、私は持ち合わせてはいないことを理解できたのである。

このように、本書で書かれているオタクの特徴は、私が周囲に豊富にいるオタクたちの観察結果と合致しており、非常に興味深い。オタクの理解と研究をするための有効な理論モデルを得られる一冊だ。

全文を読む

ゲド戦記

ジャンル分けすればファンタジー小説になるが、全体を通して冒険冒険した冒険はあまりない。
悪の権化のような敵に向かって、パーティが一丸となって立ち向かってゆく、という分かりやすいストーリーではない。(というか、ファンタジーに対する私のこのイメージは大部分をドラクエに拠っている、たぶん)
主人公たちが格闘する最大の相手は、死と死を恐れる人間の心である。それゆえ描かれているのは派手な戦闘ではなく、内心の葛藤が中心である。

ファンタジー小説に欠かせない要素である魔法は、作中では必ずしも魅力的で肯定的なものとしては描かれていない。それは自由を捨てて富を選んだ人間のエゴが作り出した代物であり、おそらくこちら側の世界における科学技術を暗に指しているのだろう。自然と決別し自然に克つことで発展してきた西洋的発想に疑問を呈し、受容すること統合することを主題とする。そういう意味で東洋的(道教的)と言えるかもしれない。
東洋的といえば、言霊が非常に大きなテーマになっている。言葉を操るのは力を持っていることと同じ、真の名を呼ぶことはその人を支配しうることに等しい、ゆえに人々が諱とは別に字を使っているというのが素敵だ。

非常に観念的な物語である。最近の私の思考とシンクロする部分もあり、面白い作品だった。だが、子どもがエンターテイメントとして読んで果たして楽しめるのか、と余計な心配をしたりする。
3巻と4巻との間に出版のブランクがあるが、その間に作者の関心事が変遷しているのが感じられるのも興味深い。

なお、原作者には頗る不評だったというジブリの映画は未見。
この後、DVDを借りて観る予定。気が向いたらまた感想を書くことにしよう。
と言いつつ、全く観る気配がないorz

全文を読む

戦いえぬものについては退却しなければならない

ウィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という言葉と、
兵法の「三十六計逃げるに如かず」が私の頭の中でつながった。

つらつらと理屈を体系的にまとめておいて、最後にこのオチ。
なんか繋がった気がする。

Home > Archives > 2007-07

RSS 三国志の話でもしようか
RSS feed
携帯カメラ
玄鵬のつぶやき
Internet Exploreは激しく非推奨です。ただちにブラウザを変えてください。

Return to page top