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2007-09

浮いている

台風一過か、昨日に引き続き、惜しいほどの晴天。
もう秋晴れと呼ぶべきか、この晴天を洗濯物を干すぐらいにしか活用せず。

部屋に籠ってちまちまとコーディング。愉しまず。
心が浮遊しながらも、所定の修正作業を終える。

仕事を終えると、既に日も傾きかけている。惜しいが、出掛ける気力も湧かない。
開け放った窓辺に座り、外光が落ちてくるまで読書をする。
しばらく前から読みたいと思っていた中島敦。

昨日今日に、ここ数ヶ月間との連続性を感じられない。
無論理性的に記憶をたどっていくことはできるが、
感覚的には、今なぜ自分がこの生活を営んでいるのか把握できない。
何か物語の途中に放り出されたような感触。

イメージは増幅される

記憶というのは思い返すごとに増強される。
鮮明に覚えているというのは、それだけ頻繁に表層の意識に呼び出されたということだ。
そして、その増強は実際の体験を限界点とせず、無限に拡大されうる。

感動体験は「感動した」というタグを貼って、容易に記憶の中から取り出せるようにしておくことで、頻繁に増強を図ることが出来るようになる。
結果として元の体験以上に鮮烈な記憶が醸成される。
いくら鮮明に覚えているといっても、五感で得たあらゆる情報を余すところなく記憶することは不可能に近いので、いきおい記憶というのはいくつかの要素を抽出して留めておくことになる。
記憶を更新する作業は、その体験の中から抽出した要素だけを増強することになるので、元来の体験とは違う歪んだ記憶ができあがってしまう。

大事に取っておきたい記憶ほど、その歪みはひどくなる一方であり、
記憶の外的な更新が行われえないとなると、あったはずの姿に近づける(元に戻す)術はない。
思い出に浸るという行為も悲しいものだ。

読書記録

2年ぐらい前から読了した書籍のリストを付けている。
時折見返してみると、増えていくタイトルに達成感を味わうと同時に、
むしろこれっぽちしか読めていないことに焦燥を覚える。

だが、ここ数ヶ月は濫読が多くなったためにつけなくなってしまった。
基礎知識収集のために斜め読みで済ませた書籍をリストに加えるかどうか躊躇っているうちに、
きちんと読了した本をも書き残す習慣をなくしてしまったのだ。

一度途切れた習慣を再開するには、始める時以上のエネルギーが要るものだ。
リスト化を目的に読書しているわけではないので、もう止めにしようかと思う。

そう、リスト化していると、読むことを目的にしてしまうという弊害もあるのだ。
大して面白くないと感じたら、読むのを中断して他の本を読み始めた方が賢明なのだが、
無理して最後まで読むという愚行をおかしてしまう。

もし明日が来なくとも

ここ最近、たった今死んだとしても、特に思い残すことはないような気がしている。
先立つ不幸をお許し下さい的な申し訳なさは多分にあるだろうが、それ以外には死に伴う身体的苦痛を避けたいだけで、人生に対する悔悟や残念さは感じない気がする。

そんなことを言っていたら本当に死の足音が近づいてくるぞ、と言われそうだ。
もしそうなった時には、私の現世での業は終わったものと解釈して、喜んで甘受するだろう。
たぶん未だそんなことはないと思うので、きっと死なないと思う。

今のところ死にたい欲求はないので、自殺なんかしないけれども、夭折に一抹の甘美さは感じてしまう。

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