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2007-12
涼宮ハルヒの消失
- 2007-12-18 (火)
- レビュー
涼宮ハルヒシリーズの第四巻。
レビューが、何故に四巻なのかって?
訊くまでもないだろう。長門に萌えてしまったからに相違ない。
二次元ヲタの友人の姦計に嵌められてライトノベルというものを初めて読んだ。そして、ここに及んで所謂「萌え」という感覚を初めて味わった気がする。とはいえ、これから二次元の世界へ驀進・・・とは行かないと思う。(聖地巡礼までしておきながら何だが)
従って、ここに記念碑的にレビューを残しておくことにする。んもっふ
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サザエさんが嫌いだった
- 2007-12-12 (水)
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子どもの頃からサザエさんが嫌いだった。
日曜の終末を実感させるからというのももちろんあるが、「サザエさん」で描かれる平凡な家庭の日常という題材が大嫌いだった。そんなもの見たくなかった。
アニメという夢の世界の中で、何が楽しくて「日常」を見なければならないというのか、子どもながらに苛々した。男は仕事に行き、女は家事をこなし、子どもは学校に通う。憂鬱な平凡。退屈な繰り返し。
ただでさえ自らの一般性に自らの存在が圧死させられそうな恐怖にかられているというのに、子どもの娯楽にまでその日常はにじり寄ってくるのである。
金髪の戦闘民族みたいに宙に浮いたりエネルギー弾を飛ばしたりもできなければ、指鉄砲から発射される霊気で妖怪を倒せたりもできない。もちろん、ネコ型ロボットが未知のアイテムを提供してくれたりすることもない。
私に用意されたステージは、学校に通って、会社に入って仕事をして、家庭を作って、せいぜいお茶の間で談笑する・・・特別なことなど何もない、私の存在はそこらに溢れかえっている一般人と大差ない希薄なものなのだ。サザエさんを見ていると、そんな現実を冷徹に突きつけられる思いがした。
それが現実?
ほんとに、それが現実なのか?
周囲が立派な社会人として、社会に、サザエさん的日常にきちんと埋没しようとしているのに、社会に吸収されてみた自分に吐き気を催した私は堪らずすぐに飛び出した。
私はいまだにサザエさんが嫌いだったのだ。一生好きになれそうにない。
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この違いはなんだ
- 2007-12-09 (日)
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幸福感に満たされていて、ただただ存在しているだけで周囲にまでその幸福を与えられる人がいる。
一方で、絶えず不安と恐怖に慄き、周囲の顔色を窺いながら相手に合わせて必死にもがいて努力しているのに、人を傷つけあるいは人に傷つけられながら悲しみに叩き落される人がいる。
この違いはなんだ。後天的な何かに依存しているのだとしても、その明暗を分けた後天的要因はなぜ全く違った風に降りかかるのか。
記憶など抹消されているのに、前世からの業で納得できようか。ましてや、それ自体の因果に説明を求めたい、先祖の因縁で合点がいくわけもない。たとえそれが真理であったとしても。
それより私は、現象界の境遇に、幸不幸の明度で見分けようとするこの目を疑いたい。
ただ、ことさらにそのことを嘆く必要なないのかもしれない。人に与えられた世界を彩色するこの能力をただただ楽しめばよいだけなのではないか。目に映る美しさも醜さも含めて。
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頭が弱いけど、最強の話のネタ
- 2007-12-08 (土)
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すなわち恋バナ。
そんなわけで、女性が飲み会で引いてしまう男性の行動ランキング
についてコメントしてみる。
男だととりあえず自分の素行が該当していないかチェックしてみるものだと思うけど、特に問題はないね。
私個人としては思い当たる節は特にない、はずだと思う。そう願いたい。
懸案事項としては、「食べ方・飲み方が汚い」だろうか。
かつて、箸やスプーンを使うときに肘が上がる癖を指摘されたことがある。幼い頃の抑圧された記憶に、裾に食べ物が付着したこと、あるいはそれを指摘されたことで感じた嫌悪感があるのだろうと推測される。
この癖はいまだに矯められてはいないと思う。なにせ二十年近く無意識的にやっているわけだから。
ただ、ここで言う「食べ方・飲み方が汚い」は、食べ物を頬張りながら喋るとか、そういうレベルではないかと思われる。
気になったのは、「気が利かない」という項目。
ブラックホール並みに全ての項目を吸収してしまいそうなのだが。注文するのに周囲に声をかけないとかいう、一般的に想定されうる程度の気配りのできなさを指していると解釈できるが、己の気に入らないことを総じて「気の利かない」レッテルで片付けるというイタい意味で投票している人もいるんじゃないのかと思う。
あとは「一人の異性としか話さない」も懸念すべきか。
一人しか話をしないということはさすがにないが、興味もないのに頑張って会話をしようという気力が湧かない。
同じ理屈で初対面の人と話すのも苦手。緊張するわけではなく、単純にめんどくさいのだ。新しい会話から新しい発想が生まれることがあるのは承知だが、煩わしく思ってしまうこと自体はいかんともしがたい。私の辞書には「盛り上がる」という自動詞はあるが、「盛り上げる」という他動詞はない。
だいたい周囲に気を配って、会話の埒外にいる人を救出しようという気配りは不要だ。
可能であると仮定して、もし相手の立場になって考えたなら、私はそんな人を強いて会話の輪に入れてあげようとは思わない。だって、私はそんなことをされるより、浮いたままでも放っておいて欲しいからだ。もちろん、そんなときに救いの手を差し伸べて、会話に入れてもらいたいと思う人もいるのだろうとは思うが、そんな自分とは違う思考回路を持つ人の気持は分からない。少なくとも当該対象がどんな思考回路をしているのかを把握するのは極めて困難。すると、「相手の立場になって」といいながら、自分の主観を頼りに判断していることになり、矛盾が生じる。
以上、「相手の立場になって考えることは不可能だ」という命題の背理法的証明終わり。
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オシム氏のニュースについて
- 2007-12-04 (火)
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目を覚ましたオシム氏の第一声が「試合は?」だったそうな。
いかにサッカーに情熱を傾けているかが分かる美談だ。それはいい。
しかし、どうだすごいだろ、とばかりに美談を喧伝するマスコミに辟易する。まぁ、いつものことだ、これもいい。
だが、このニュースを読んでどれほどの人間が、「プロフェッショナルとはかくあるべきだ」などと勘違いして、「寝ても覚めても仕事のことを考えて頑張るぞ」とか鼻息を荒くするのかを想像すると虫唾が走る。
いや、ニュースを耳にして独りで勝手に興奮してくれているのなら別に構わん。
あろうことか、翌日の朝礼とかで「かくあれかし」と部下に説教し出す社長さんや部長さんの姿が脳裏に浮かんだだけで憤りさえ湧いてくる。
私の予想はさして的外れではないと思う。
それでも、こうやって嫌いな人間の行動パターンをシミュレートして、勝手に気分を害してしまうのは私の悪い癖だ。こういうのは、マイナス4℃くらいの眼差しで見守ってあげるのが正解。
他人の価値観に究極的に寛容な態度は、価値観を他人に押し付ける価値観をも受け容れなければ嘘だというジレンマを乗り越えなければならない。
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次元のはざま
- 2007-12-01 (土)
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気がついたら右ディスプレイのデスクトップ背景が長門になっている。
むろん戦艦のそれではない。
さて、師走。ちょいと忙しい。
引き篭もりを発動して、集中力強化モードに移行する必要がありそうだ。
次元のはざまを脱出するためには、エクスデスを倒すことに集中しなければなるまい。そのために、避けては通れないのは蜃気楼の町。そう!貨幣のメタファーとしての蜃気楼だ。(参照)
それにつけても、寒くなってくると朝方の活動が鈍くなるのは避けられない。そういえば先週、六本木で初雪が降ったらしいことを聞いた。雪が積もったりなんかすると、いよいよ引き篭もりに拍車がかかるね。
私の頭の中がユキで埋もれてしまわないうちに、ちゃっちゃと仕事にとりかかるとするかね。
とかなんとか、メタファーと掛詞でいろいろ誤魔化しながら支離滅裂な文章を書いてみる午前4時。
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