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2008-01

余計なお世話

Amazonの商品おすすめメールの話。

3年前の就職活動の際に購入した、中谷彰宏の定番中の定番である就活本「面接の達人」。
その関連商品として、つい先日「面接の達人2008 転職実例集」をご案内してきなさった。

機械的にメール送信してるんだろうけど、一般的にちょうど良いタイミングかもね。
私には関係ないけど。

大戦に参戦してみた

正確には参加してみようとした。

といっても三国志大戦ではなく。まさか、今さらね。
参戦しようとしたのはこれ

そこでいそいそと武具を調達してきた。

boukun.jpg

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存在論的、郵便的

レジュメ作成・発表のために精読。構成がいまひとつ系統立っていないため、読み通すのに随分と骨が折れたが、読んでいる最中はとてもワクワクした。

脱構築の生みの親であるジャック・デリダの思想を、「郵便=誤配システム」という隠喩系を中心に据えて読み解こうとするもの。だが、「読み解こう」とする行為そのものが脱構築されるべきものに該当するという自家撞着にからめとられて、結論を導き出せずに終わっている。
本書での極めて論理的なデリダの読解を追っていけば、この結末はうすうす感じ取れるものではある。一見したところ失敗とも思える唐突な締めくくりではあるが、この脱臼として脱稿を脱構築の実践であると、私はパフォーマティブに受け取ろう。

この本を読んで以来、「脱構築」という単語がしきりに私の頭の中を去来する。夢(無意識)にまで響いてくるほどで、まさに彼方からの呼び声(アペル)である・・・これを機に、デリダを読み深めようと思う。

ときに、彼がこの書を記したのが、まさに今の私の年齢であったことに驚嘆する。そして、幾ばくか焦燥を感じた。

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Locks

3月12日にGARNET CROWのニューアルバムが発売されるらしい。
前のアルバム「THE TWILIGHT VALLEY」が最高だっただけに、今回のアルバムがどんなものになっているのか楽しみなところ。

それにしても、初回限定版が2タイプというのはどういう了見だろう。チャートの順位を上げたいのは分かるけれど、コアなファンに頼りすぎ・・・「Locks」というのは何か、ファンに錠をするということか。
このご時世わざわざCDという物理的メディアで買ったりはしない。ただ音楽が聴きたいときは、iTuneあたりでダウンロード購入してしまった方が早いし安い。CDを買うとは、すなわちジャケットを買うということ。
というわけで、何だかんだ言っても全部買ってしまうんだと思う。これでもライブツアーの度にグッズをコンプリートしていた頃に比べれば、熱は冷めているんだけどね。

しっかり「※ジャケットは3タイプとも異なります。」とか書いてあるし・・・

企図―歪んだ開示への欲求

このエントリーは、私がこのブログを書いていることを、リアル知人により知らしめようとする意図を書いたもの。
簡潔に書くつもりが思いのほか長文になってしまった。

―――――――――――

私の関心は極めて反社会的な言説に傾きつつある。
それは私が社会化されて生きることへの拒絶感から生じたものであると同時に、拒絶するはずの社会性を多分に内在しているがゆえに生じるその拒絶感への拒絶感とも言うべき罪悪感への抵抗が生じさせたものである。(その抵抗こそがまさに社会性の特徴たる志向性を備えていることには自覚的であることは付言しておく。)
私のこの社会に対する拒絶的態度の起源に捻れが発生しているとはいえ、この拒絶に正当性を与えても良いと考えていることも事実である。

しかしながら、あくまで反社会的であるがゆえに、私の発しようとする言説は、私の社会的な活動上においては到底受け容れられるべきものではない。それを察知する程度の社会性を有する私は、私の言説を強く封印する。
この状況は私には苦痛である。

・・・もう少し平たく言おう。
私は仕事をするのがめんどくさいと感じている。概して生活のために、お金のために、働く即ち時間を投下したくないと思っている。しかし、この正直な欲望は道徳的には到底認められない。そしてすぐれて道徳的な私は、自分の反道徳的な欲望を抱いていることに単純に苦しむのではなく、私の方がより正しいのであり、社会一般の考え方に見直すべきものがあるのだと考える。
これは「まじめに」働いていないことへの自己弁護の意味も備えている(ことは自覚している)が、正当な主張であるという確信もまた同時にある。

しかし、この考えは社会一般には受け容れられない。殊に「一生懸命に」仕事をしている所謂ビジネスマンには理解に苦しむものであるばかりでなく、彼らの生き方の否定にしか捉えられない。
にも関わらず、やはり生活の糧を得るという手段を取る場において、相対するのはそんな彼らなのである。彼らに私の思索の一端を喋ることができようか。それは何も彼らからの反発(およびそれによる仕事への悪影響)をおそれるからではなく、彼らの盲目性を暴いて叩きのめすことへの遠慮からなのである。(というか、これまた闘争への単なるめんどくささの忌避であるが。)
こうして耐えられる範囲内での社会への馴化を図っているが、これはストレスに他ならない。見下している社会的な文脈に沿って振舞う自分への気持悪さを禁じえない。

ではどうするか。
このブログを晒すことによって、直接的に喋(って対応≒闘争す)ることのめんどくささを省いて、私の言説を相手に伝えるのである。そうすることで彼らに社会的な文脈で私に接することへの遠慮を生じさせるのが狙いである。もし、彼らの反発を招いて仕事に支障をきたすならば、やりたくないことをやらなくて済むことになり、大いに結構なことだ。私としては彼らに社会化された畜群としての烙印を押すだけですむのだから。

別に理解してもらえなくても良いのである。というか、おそらく理解しえない。(この場合の「理解」とは、承認や否認以前の、認識の謂いである)
「何かよく分からないけれども、すごい(難しい)ことを考えているようだ」という感想さえ持ってもらえればよいのである。そして、「一生懸命に仕事をしなければならない」という仕事における彼らの根本的原理(まさに道徳!)に多少なりとも揺らぎを生じさせることが出来れば、権威的な圧迫を避けられるのではないか。少なくとも彼の動揺(までいかなくとも混乱)を、私が確認できれば、私は社会性に馴化することなく強気に出られる気がしている。

実は「何かよく分からないけれども、すごい(難しい)ことを考えているようだ」という評価こそが、私が求める最大の賛辞であったりする。「わかる、わかる」という安易な同意は期待はずれの虚しさを伴う。
などと言うと、より一層コメントしづらいか・・・(苦笑)

なお、私の言説がインテリを気取った若者が陥りがちな底の浅い思考であることも薄々感知しており、未知の思想に触れるたびに地団駄を踏みたくなるほど自身の才智の限界を日々思い知らされていることにも言及して、卑怯な防護壁を築いておく。(この城壁から外に出るべきなんだな。)

リアルへのブログの開放

このブログの読者はほとんどリアル知り合いだ。ネットで知遇を得た人もいるが、一度は直接顔を合わせている人がほとんどであるように思う。
ゆえに実生活に支障をきたすような内容は書かない、というか書けない。プライベートなことは書くつもりもない。
ふと思い返せば愚痴は全く書いていないように思う。愚痴っぽいものがあったとしても、それは絶叫的な社会への批判ないしは提言だと認識していただきたい。

そこで名刺やら、メールの署名欄やらにブログのURLを晒していこうかと考えている。そのためにこのブログを(存在の意味を成していない)サイト全体と併せて、少々体裁を整える必要を感じている・・・のだが、なかなかその時間を取れない。
いや、作ろうと思えば時間はあるのだが、やる気にならないというのが正直なところ。

今までは人に読みやすいかどうかは割りと軽視してきたが、少々意識してみようと思う。
かといって、絡みやすい話のネタを充実させるつもりは全くない。むしろ、普通の文脈に納まらない、もっと言うと”普通”の人が読んだら理解に苦しんで退いてしまうぐらいの内容にしたいと思う。

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