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2008-01

努力しなくてよくすること

もし私が社会的にやりたいことがあるとするならば、人がもう努力しなくてよくすること。

住むのを楽にするために住居を造ったり、移動を楽にするために乗り物を造ったりするのと同じように、生きるのを楽にするために頑張らなくてもよくすること。
頑張らなくても良いとはいえ、寝っ転がっていては当然何も生産されないし、何も事態は変わらない。

当然そうだよ。
だけど、私がやりたいのは、それでもいいんだ、というようになるということ。つまり善悪・正誤を完全に超越するということ。
人間は飽きっぽいから、寝っ転がっているのにもすぐ飽きる。飽きたら面白そうなことをやってみる。とても面白いことが分かれば、寝食も忘れてそれに熱中する。何が面白いかは人それぞれだから、各々が楽しいと思うことにそれぞれ熱中する。
楽しいことに熱中しているだけなので、そこに「頑張り」は要らない。それは努力と言えるかもしれないけど、もう努力の必要性も重要性も要らない。うーん、楽しいと思わないかい。

でも、それぞれが好き勝手やっていたら、世の中まわっていかないじゃないか、と仰る?
ええ、社会がうまくいかなくて、それで結構。だって善悪を超越しているんだから。
そうそう、だから私がやりたいのは、「何もしなくてもうまく回ること」ではなくて、「うまく回るかどうかが気にならなくなること」なのだ。
寝っ転がって飢えても、別にそれは悪くない。悲しむべきことでも恐れることでも、ましてや非難されるべきことでもない。でも寝っ転がっていたところで、いずれ飽きるから、きっと何かやってるさ。

それは所詮、理想論だって?
うん、私も激しくそう思う。あんまり人々を啓蒙する気もないし、そんな社会に出来る気も全くしない。
それでも私にとっては、意味がどんどん剥落している。楽しいか楽しくないか、好きか嫌いか、という私自身の感覚にしか意味を感じないよね。と言っても、まだ論理で推し進めようとしている段階で、私にも社会のノイズはきっちり鳴り響いている。ゆえに、嫌なことでも義務感に駆られてやっているし、我慢すべきときは我慢して努力してる(それでも相当怠けているけどね)。
だから私は早く安心して寝っ転がれるようになりたいと思っている。そう、涅槃のポーズね。

あ、ちなみに私がその域に達したら、社会がそんな理想郷になっているかどうかはどうでも良くなるので、たぶん私は何もしないよ、気が向かない限りね。

一流でなくて結構

大田経財相「もはや経済一流でない」、国会演説で言及

「もはや経済は一流でなくてもよい」
の間違いである、と私は思う。
戦後のどん底から日本は大成長を遂げ、経済一流になった。貧困からの脱出、幸福を求めて必死に産業を振興して経済発展をひた走ってきた。
そして幸福になれただろうか。確かに、物質的に恵まれているということ自体、感謝すべき幸福な状況と言える。しかし、日本人はそれで幸福感に満たされているだろうか。通勤時間の満員電車に乗ってみれば分かる。
そんなことは、マザーテレサが喝破していたはず。

そして、経済が一流から転落した(らしい)今、我々は再び物質的に飢え始めたのだろうか。
経済が一流になって我々が求めるようになったのは、物質では満たされない満足感であるはずだ。既にそのフェーズに移行しているはずなのだ。経済が少々低迷していようが、欲求のフェーズが後退したわけではない。
年収を増やして何か買いたいのではなく、たくさんの年収を取っている自分でありたいのだ。己の価値を確認したいがために、他人に承認されたいと思い、しきりに価値が測れそうな指標をチェックする。

全体的な右翼化傾向も同じだろう。誇るべき日本人たる自分を見出せば気休めにでもなるのかもしれない。
そう考えると、今さら経済成長を求めようなどという馬鹿げた思考も軌を一にする。「経済一流の日本」という箔が欲しいだけに過ぎない。

追記すると、「自分の価値って何だろう」という疑問は、「人を殺してはいけないのはなぜ?」と同じくらい、かなり正常な疑問である。
結論から言うとそんなものはない。分からないのではなく、無いのだ。人を殺してはいけない理由がないのと同じように。

知らない名前

友人が猫を飼った。
名前は「夢睦月」と書いて、(むつき)と読む。

んで彼は、その猫が擬人化されて登場する夢を見たらしく、その猫についての小説を書いたんだとか。

全文を読む

私はガリレオ

先日のエントリーの派生形。

前提である足場は認識すらされない。あなたがたが踏みしめている大地は、地球の外に出てみなければ地球であると認めることはできない。
私は社会を超越して、社会を対象として視る。
(人類は地球から脱却できてはいないが、既に超越はしている)

足場の上に載っている者は、足場を叩いてみる私を理解できないのみならず、危険視する。
私は社会という名の教会に挑むガリレオである。
それでも道徳は転っている。

(地球を超越していない者は、「重力に魂を引かれた者」に等しい。そう考えると、ニュータイプ⇔オールドタイプのメタファーも使えそうだ。)

ウェブメール

帰省中に今さら実感した。

もうローカルに保存するのは最小限にしよう。

全部Gmailで処理することにする。

帰京せり

2週間ほど空けて6畳の自室に帰ってみると、自分がここで生活していることを忘れかける。ドアを開けた瞬間に妙な違和感。それでも確かに私の住所はここだし、ここに住んでいる。
超社会人なので一般の人が感じるであろう、連休が終息する際の現実に引き戻された感はない。その替わりに私はどこにも住んでいないような浮遊感に少しだけ襲われた。

さて、郵便受けには出していない人からの年賀状が何通かある。いまさら年賀状を書いて郵送するわけにもいかないので、失礼ながらメールでご挨拶を済ませることにする。ごめんください。

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