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2008-01

社会により課された原罪

私にあるのは不幸感ではない。むしろ幸福を感じるがゆえに襲い来る罪悪感だ。

私の良心に築かれた監視塔。返済不能な債務。懺悔の代わりに強いられる勤労。
内在化された社会の目が私を捕縛する。

城壁の破壊

私は自分の造りあげた城壁を自ら破壊する。
外部から破壊されることを防ぐために、内側から破壊する。

私の城壁は、抗すべき外部からの攻撃と同じメカニズム(まさに「力への意志」)で造られている。
ゆえに破壊しようとするのだが、破壊の衝動もまた同じメカニズムに他ならない。

この言及そのものが、内側からの城壁の破壊を意味しているものとして見て取れるだろう。

対象と前提

私が対象とするものは、あなたがたが前提としているものだ。

あなたがたの足場を、私は叩く。

いま何してるの?

年末年始、実家に帰省している。
地元にて高校以前の知人と久闊を叙す機会があり、何度もこの質問をされたし、私自身も発した。会話の糸口であって、それ以上の意図などないことは分かっているが、わずかな逡巡を覚えながら会話する。

「なんしよるん?」との問いに、「息(呼吸)しよる」などと小学生時分によく言っていた悪ふざけで返すわけにもいかないので、私は「ウェブデザイナー」と答えることにしている。
別に嘘をついているわけではないが、おそらく質問者の想定に即してはいない。
その想定とは、学生でないならば生計を立てるための手段(いわゆる仕事)に従事しており、睡眠などの生理的に必要な時間を除けば、生活における時間的ウェイトを最も割いているはずの重要事項について聞こうというものだろう。
往々にして意識されることすらない、その想定に置かれている前提条件の崩壊を脳内に止めず、社会生活にまで反映させてしまった私にとって、この質問に対して没社会的回答を行うのに違和感を伴ってしかるべきだろう。

ジョークと本気の微妙に入り混じった私の珍奇な返答をユーモアとして解してくれそうな人(と場)には、「超社会人」と答えて煙に巻くことにしている。

新年

年が明けるということがはたしてめでたいのかどうなのかは分からないが、退屈な日常にデュオニソス的興奮を差し挟んでくれるイベントであることが間違いない以上、おめでたいことなのだろう。もちろん、この場合の退屈さとは、物理的なそれではなく精神的なそれである。
正月早々ひねたことを言っているが、社会の一般的なコンテクストを読むこともできる私は、しゃれこうべをつきつけたりせずにこう言っておく。

あけましておめでとうございます。

なお、地球の公転周期に合わせて目標を立てたりはしない。

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