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2008-06
弱い人が好きだ
- 2008-06-29 (日)
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それも、その弱さを恨むことなく、甘んじて引き受けている人が好きだ。
だから私は、暗い人は好きだ。
才能に溢れていても、富と権力を抱えていても、名声を博していてもいいのだが、人が弱くありうるということを知っている人が好きだ。人が弱くありうることに、どこかしら絶望感を抱いている人が好きだ。
それは道徳として要請される謙虚さではなく、謙虚であらざるを得ない謙虚さ。生きることの得体の知れなさに、無意味さに打ちひしがれ、それでもその混沌をわらって引き受けようとする謙虚さである。嗤いでも哄いでもない、如来のあの無限の微笑みなのだ。
強いがゆえに単純な肯定の光を放つ人は苦手だ。
この拒否感は、弱き者としての私の怨みから発してはいよう。しかし、強者を肯定してみても何も始まらないではないか。改めてそんな肯定をしてみる弱者が、いかにして強者になれよう。
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タナトスの台頭
- 2008-06-28 (土)
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実際にこの少年が何を思ったかは知る由もないが、妙な共感を覚えてしまった。
なんかちょっと腹の虫が騒ぐと、あらゆることがめんどくさくなることがよくある。そういうとき、もう死んでやろうかしらと思ったりしないこともない。激怒の末の自殺というより、激情がすこし冷めた後に虚しさと共に襲ってくる死の欲動ではないだろうか。
自殺してみせたいのは怒りの対象(この少年の場合でいうと父親)に向かって、というよりはむしろ、あまりにも歯がゆい世界の不条理さに向かって訴えたいからだ。もちろん、この世界をこのように構成しているのは紛れもなく私であるわけで、すると私に向かって見せしめようと臍を噛んでいることになる。いや、そもそもこんな捩れた構造が存在するということ自体に、「我思」ってしまっていること自体に地団太を踏んでいるのだ。
ああ、眩暈がする。ここまで来ると「もう」、というより、「やはり」どうでもよくなってくるのだ。(議論の流れがどうでもよいのではなく、生きていることがどうでもよいのである点に注意)
こうしているうちに襲ってくる睡魔にタナトスは駆逐される。そして今日も、ナニカノハズミデ生きている。
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もし余命5年だったら
- 2008-06-09 (月)
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随分と気が楽になるだろうな、と思う。
だってこれから先50年分の生活の糧を考える必要がなくなるのだから。心の枷がはずれそうな気がする。
いや、これから先50年も余命5年と宣告されたくらいの自由さで生きていけばいいんだって分かってる。分かってるさ。
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だから
- 2008-06-07 (土)
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(前の記事の続き)
修行や修練によって至る境地に興味はない。
だって、誰もがなれないんでしょう?
誰もがなれないから、普通は価値があるというのだろうけど、それって結局人間の生に否定されるべき契機を刻み込んでいるだけじゃないか。
高みに昇ることは素晴らしいこと?
夢を実現するのは素晴らしいこと?
目標を達成するのは素晴らしいこと?
しかし、そうできない人をどう考えるべきなのだろう。重ねて言うが、それは本人に責任を帰すことができない。努力不足というかもしれないが、彼・彼女に努力のできなさが帰属してしまったことを本人の努力不足のせいにできるのか。
それはしかたのないこと、ではないだろうか。
逆も同じ。
誰かが努力の結果、大きな成果を上げたことも、しかたのないことなのだ。
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