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2008-07

連邦の新兵器

雷雨だ。雷鳴が近いので、本当はPCの電源を落としておいた方が無難かもしれない。昨年、某友人が落雷によってPCが死亡したのを知っているので、わりと本気で心配してみる。

昨日、「ケーブルテレビ設備保守点検のお知らせ」なる案内資料が新聞受けに投函されていた。地上波のデジタル化に伴い、電波の受信状況を宅内点検するらしい。
でも、私はテレビを視ないのでそんな点検は必要ない。というか、そもそもテレビがない。よってアンテナの端子が部屋のどこにあるか分からない。たぶんPCの裏あたりだと思うが、これをわざわざ移動させるのは手間だなぁ・・・
だが、よくよく考えてみると、なんでケーブルテレビに電波状況を宅内点検してもらう義務があるのか。つまりはだな、点検とか銘打っているが、これはケーブルテレビの営業なわけだ。電波状況の悪い家を見つけ出して、「ケーブルテレビなら鮮明に視られますよ」と売り込むわけだ。あたかも公共的なサービスを装って部屋の中まで侵入するとは、恐れ入る。

そうれはそうと、嵐って、なんだか楽しいよね?(むろんジャニーズではなく)

暑中お見舞い申し上げます

日中、部屋でじっとしてると汗が噴出す。何度シャワーを浴びることか。
これだけ暑いと、暑中見舞いの決まり文句も違和感がない。といっても、冷夏の際に暑中見舞いを書くことに首を傾げているわけではないよ?

今日、ごくごく僅かだか暑中見舞いを書いて投函した。日ごろ連絡を取っていない恩師などを中心に。
親しい友人であれば、ブランクがあっても気軽にメールで連絡が取り合えるだろうという考えから。年賀状もそうだが、形骸化した習慣ではあるが、連絡を取っておくきっかけとしては良いと感じる。

葉書に宛名を書いていてふと思う。メールアドレスと住所の重要度というか、連絡手段としての有効度は、前者の方が高い、ということ。
メールアドレスを保有していない人はいても、社会的な生活を営んでいる限り住所のない人はいない。しかしながら、住所は転居すれば当然変わる一方で、メールアドレスはどこに移ろうがずっと同じもので通用するのだ。もちろんメールアドレスの変更だって少なくはないが、電子機器上で利用するという性質上、変更通知が届く可能性は引越し通知よりも高い。(携帯メールアドレスの変更通知が送られなければ既に友人ではない)

実際、大学を卒業して2年強、私の友人の住所録はもう8割がた用をなさなくなっている(はず)。

羽根じゃダメなんだ

来月2日に押井映画の最新作が公開される。森博嗣原作の『スカイ・クロラ』だ。

その『スカイ・クロラ』をテキストに某サークルで読書会を行うため、担当になった私がレジュメを作成中。担当になったというより、自分から志願。
プロトタイプは既に完成。最悪いつでも読書会には臨めるようになったところで、溜まっている仕事を片付けよう。本業より趣味を先に回してしまう私。
一通り書き上げたとはいえ、満足には程遠い出来ばえ。語らせれば語れるが、美しく文書にまとめるのは毎度難しい。気が向いたら修正を入れたいと思うが、制作物に関しては自分の弾筋をとことん見ないタイプなのでどうなることか。

『スカイ・クロラ』を精読した私の解釈は、たぶん押井氏の解釈とは異なる。いや、まだ映画は観てないんだけどね。トークライブやインタビュー記事などから読み取る限りでは。きっと押井氏の捉え方は原作者の森氏ともズレている。従って、今回の映画における脚色には、原作者の意図をかなり逸脱してしまった部分があるものとみて間違いない。にもかかわらず、森氏はそんな押井アレンジを随分簡単に了承したらしい。アーティストの反応としては不思議にも思えるが、森氏のこのような態度こそ、この作品の主題を象徴するものだと思う。

で、肝心のその主題なのだが、気が向けば後日アップするかもしれない。
それとは別に、『スカイ・クロラ』を読んで思ったのは、玄鳳の「ハネ」じゃ不足なんだ、ということ。地球の重力を振り切れるくらい高く飛び立つには、揚力で上昇する羽根では間に合わない。私は覚醒できないじゃないか、と(笑)

とにもかくにも、映画が楽しみである。

白痴か狂人か

この世界は認識されることによって現象する。認識とは、とりもなおさず言葉である。まず言葉がはじめにある。

その認識を通さず、ものごとを「ありのまま」にみるためにはどうすればよいのか。
この場合の「ありのまま」とは、言葉を使って認識しないことである。論理によって理解しないこと、混沌に穴をあけないこと、力への意志を感受すること、内と外を区別する輪郭線を引かないこと。

その状態がありうるとするならば、白痴か狂人になるしかないだろう。
意味を固定化されたような通常の言語を使えないのであるから、もうコミュニケーションは図れない。それは「人として」ある、とは既に言えない状態になってしまう。
「言語の使用」がヒトの他の動物と区別する特徴である点に合致する。というか、そんな区別自体が言語のなせる業なのだけど。

それでいいのか、という話。
そもそもなぜ「ありのまま」にみるべきなのか。
区切りを入れることが苦悩の根源だから、ということは言える。

だが、その区切りを入れる作業によってこそ、美しさを感じることができるのだとも言える。認識は彩色である。
その色を楽しみながら、その色に惑うことない「ありのまま」を生きることはできるか。

梅雨明け前だけど

今日は夏らしい天候だった。
熱いのだから浮いてくれればよさそうなものだけど、アスファルトの熱を吸った空気は死んでいるみたいに沈んでいた。この重たい感じは、まだ蝉の声が聞こえないのも手伝っているのだろう。

昔から暑いのは嫌いじゃない。
寒いのと違って筋肉を無駄に緊張させなくてすむ。どちらかといえば発汗が少ない方だし、贅肉がないのも理由の一つだろうか。
寒いのが極度に苦手なことの単なる裏返しかもしれない。ちなみに寒いのが苦手なのは、血行があまりよくないので実害を被りやすいためだ。

とはいえ、ここ5年くらいは季節の好き嫌いがあまりなくなった気がする。
春の桜や夏の日差しはいわずもがな、冬は冬で低いグレーの雲に落葉した木々の枝を見るのも風情があると思えるようになった。日に日に寒さが増すので嫌いだった秋も、いくらか朽ちた落ち葉が風に引きずられるさびしさにも心が惹かれたりする。それから雨も。

思うに、何が嫌いだったのかというと、雨が降っているにもかかわらず学校に行か「なければならなかった」こと、寒いにもかかわらずグラウンドを走ら「なければならなかった」ことではないか。結局、私に気持悪さを覚えさせたものは、やりたくもないのに、なぜかしなければならない理不尽さだったのではないか。
しかし、順応性ゆえに、その不快さの原因を天候や季節に転嫁していたのではないかと思うのだ。

と分析してみたものの、この理由も最近の私の思考に付会しているようで、なんだか嘘くさい。
ともかく、ここ最近はRainy DaysもMondaysも私の心を落ち込ませるものではなくなったとは言える。

サミットとロッカー

実際の成果について浅学な私は全く論じられないが、洞爺湖サミットの評価について、首相が無難すぎるコメントをすることは開催前から分かりきっていたことではある。
それはいい。

サミットの期間中、都内のJRや地下鉄の駅構内の全てのコインロッカーが使用禁止になっていた。サミット開催にあたって危惧されるテロ対策だそうだ。
普段はロッカーを使う機会などないのだが、先日偶々かさばる荷物を持ってうろうろしなければならなかった私は、ロッカーの貼り紙を読んで途方にくれた。何しろ日本地図を再構成しなければならなかったからだ。

「洞爺湖って、北海道だよね?」

そしてここは東京。各国首脳が航空機を乗り継ぎするにしたって成田だろう。それともサミットの名前に洞爺湖と冠しているだけで、実は会議そのものは東京で行われるのだろうか、などと考えてみたりもした。
だいたいテロを起こそうと思ったら、ロッカーを封鎖されたところでいくらでも取れる手段はあるものだ。羹に懲りて膾をふくような頭の弱い対策である。
不便を強いられた一市民であるところの私は、非常に納得しがたいものを感じたのである。

とは言え、先進国首脳が鳩首している間に、サミット開催国たる日本に世界からの注目度が高まっているということは、世界のパワーバランスの転覆を図らんとするテロリストの標的になりうるし、狙うとするならば被害が最も甚大になりそうな首都・東京であることぐらいも分かる。だから、サミットの舞台が北海道なのに、東京でお巡りさんがおっかない顔でうろうろしている理由だって分かるし、ロッカー封鎖も実効的な意味よりもテロ対策への取り組みをアピールして抑止力にするという副次的効果があるからやっているんだというのも分かる。

ただ、国家の都合で個人の都合は簡単に潰されてしまうものなのだ、ということを実感を伴って感じたのである。
こう書くと今の共産党っぽくなるが、個人なんてそんな存在だというさめた認識が私にはあるので、それについてどうこうすべきだという意見は持たない。
感じたことをもう一点。いつの間にかテロが、一般的な起こりうる現象になっている、ということ。アメリカ政府によって「テロと戦う正義のリーダー国、アメリカ」が世界の構図に据えられて以降、日本でもその図式がすっかりと定着してしまった感がある。
「だいたいテロリストなんて、日本のどこにいるんだよ。ナイフ振り回して通り魔するか、自殺するかというところまで追い詰められてしまう人間を大量生産してしまっている構造の方がよっぽど重大問題じゃないのか」とかいう疑問は、貼り紙を見ても湧かないのだろうか。

なんだか久しぶりに抽象的でないことを書いた気がする。

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