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2008-08

振り返れば未来

空間的には目のついている方向を「前」と呼び、その反対方向である背中の側を「後」と呼ぶ。
空間的な前後関係は単純でわかりやすいが、時間的な前後というのはこれよりわかりづらい。「~より前」と言った場合、時間的には基準より古い時点を指し、「~より後」はより新しい時点を指す。

解せぬことに、時間の進む方向を「前」とは呼ばずに「後」と呼ぶのだ。
ちなみに「先」という言葉も、「前」と同様に空間的には(変な表現だが)向かっている方向を指し、時間的にはより古い時点をいう。

なんてことだ、われわれはいつだって過去を向いているのだ。未来に向かって歩んでいると思っていたのに、ムーンウォークを見せられたような不思議さだ。
だが、よく考えると尤もなことで、目は前にしかついていない(というか、目のついている方が前)のだから、過去のことしか見えないのが至極当たり前に思える。すると、「過去を振り返る」という表現は適切ではない。振り返るのは過去ではない、われわれのいる今この瞬間の後にある未来だ。

そう、前向きに将来を展望するなんてことは、不可能。未来とは、振り返るもの。
では、未来を振り返るとはどういうことなのか?未来を振り返ることなんてことができるのか?

GARNET CROWライブ

昨日、GARNET CROW Livescope2008に行った。場所は水道橋のJCBホール。

GARNET CROWのファンには違いないが、さすがに以前ほどの熱もなく、会場に行くまで難儀に感じてしまっていた。いや、正確には開演するまで。
その証拠に、ライブ数日前に発売された新曲を買ってなかったし、ツアーグッズもパンフレットを買うだけに留めておいた。
それでも曲が始まると、やはり気分は高調するもので、楽しい時間を過ごせた。やっぱりGARNET CROW好きだな、とライブに行く度に思っていることを、今回も改めて思った。

そして帰宅後、パンフレットは封を開けることなく本棚に収納されたのであった。

書の名宝

江戸東京博物館で開催中の「書の名宝展」を観てきた。
間違ってお盆の人のわんさかいる時に行ってしまい、蘭亭序を観るのにのろのろ列に並ぶ羽目になったが、それでもとてもエキサイティングで楽しかった。

機能の権化であるはずの文字が、芸術性を帯びる面白さを堪能できた。漢字が記号化の先鋭へと進まなかったことにより、その道具としての有用性は落ちたと言えるのだろうか。芸術の論陣が実務のフィールドに張られてしまうのだから、あるいはそうなのかもしれない。
しかしながら、美と機能とを峻別して、理想(イデア)を信奉してしまうことを回避するためには、文字に美しさを見出すのはとても大切なことである気がする。

よろしければ

よく耳にする言葉で違和感を覚えるもの。
「よろしければどうぞ」って何だ。「是非どうぞ」って言えばいいんじゃないのか。何の条件がよろしいければよくて、よろしくなかったら別にどうでもいいのだろうか。勧めているのか勧めてないのか中途半端で、なんだか気持ちが悪い。

おそらく、勧誘やら奨励やらの責任を取りたくないという心理の無意識的な表出なのだろうと思う。
「この行為はてめえが別に構わないんだと思った上でするんだから、後々不都合が生じたからって俺にいちゃもんを付けないでくれ」ということなのだろう。かなり乱暴な言い換えだが。
「お前が勧めたからやってみたけど、つまらんかったじゃないか」と言われたときに、「だから『よろしければ』って言ったじゃないか」という言い訳を用意しておきたいわけだ。もちろん、そんなのは屁理屈なんだが。たぶん、言ってる本人も、そんな理屈が通用するとは思ってはいない。

もう一つ考えられる理由として、呼びかけが断られた場合にその拒絶を真っ向から受け止めないため、というのがある。
「一応は勧めてみるけど、気が向かなかったら別にいいのよ」というポーズをとることで、断られたときに「あら、そう」と受け流せるようにしているわけだ。
相手の正面から話しかけず、90度ぐらい横から提案すれば、拒絶の矢印は自分には向かない。

どちらにしろ、拒否されたり苦情を受けたりした場合に、心理的ダメージを軽減するためにあらかじめ取っておく防衛策なのだ。要するに、ATフィールド。言質として使うために言うわけではなく、心を守り癒す自己処理をするために言ってしまうのだろうと思う。

かけがえのないあなたのいる世界

私には私にとってかけがえのない人たちがいる。
とても大切な人たち、愛している人たちがいるというのは、とても幸せなことだと、つくづく思う。面映ゆいので、面と向かって愛していることを伝えることはうまくできていないけれど。
かけがえのない大切な人に愛され、かけがえのない大切な人を愛することはとてもハッピーなことだと感じるし、実感としてそこに意味も感じられる。

だが、しかし。
私にとってかけがえのない人がいるからという理由で、私は自分の生を納得することはできない。生きていることの無意味さ、空虚さに襲われないわけにはいかない。

かけがえがない人がいたから生きてこられたとは言える。
だからといって、生きてきたことによって生きてきたことを肯定することはできない。

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