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2009-03

ショウガの辛さが効いた「n.e.o(ネオ)プレミアムジンジャーエール」を飲んでみた

世界を幸福にするために

世界を完全なる幸福で満たそうと考えたとき、人に目標達成を説くことはできないではないか。
なぜ今わたしがここにいるのか理解できないように、世界は理不尽にできているのだから、ある結果を志向したところで挫折しないことなど絶対に保証できない。そうであれば、目標達成を称揚・奨励すればするほど、そうならなかった者に不幸の烙印を押すことになる。
世界が理不尽であるからこそ、全ての人は救えない、だから出来る限りのことをしているのだ、という意見もある。尤もではあるが、それが幸福を志向していながら、不幸を生産しているという定義矛盾を孕んでいる以上、私はやはりこれらの活動に諸手を挙げて賛同することは断じてできない。

目標が客観的意味を持つそれではなく、内発的衝動の発動を指しているとしても、彼らの説くことが結果の成就であるならば、私はこれらの言説に疑義を投げかけ続ける。いや、固定的な結果でなく、内発的衝動の発動それ自体の推奨であるとしても、推奨対象として固定させてしまう以上、是とすることはできない。

もっと平易に言おう。「こうすればいいよ」「こうしよう」「こうしなさい」という肯定言説は、常に孕んでいるはずの「そうできなかった」可能性を否定している以上、全面肯定はできない。この言説で留まっては、世界を幸福にするということから既に逸脱しているのだ。私には「そうしてもしなくてもいいよ」という現状肯定しか残されていないように思われる。

肯定言説を述べる人もこの矛盾を承知の上であることは、先ごろ実感としてよく分かった。確かに、ひとにはそこまでしかできないのかもしれない。
しかし、私にはその妥協を許容することはできない。だから、「それでも」を言う。言い続ける・・・「こうすればいいよ」で人々を励ます人々は、それでよい。それで美しいと思う。私はただ世界の幸福を追求して、「でも、そうでなくてもいい」と叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ・・・

それには今の私では、少々パワー不足だろう。
「課題解決とか、目標達成とかくだらねぇ(笑)」と言いながら、やっていくのだから相当厳しい。

2回目の6歳の誕生日

先日、誕生日を迎えた。(というか、迎えなかった)

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夢とか希望とか目標とか

夢語るのはいいが、それに向けて既に何かの行動をしてないなら、それは夢じゃない。
そんなこと、本当に自分がやりたいと思っているのか考え直した方がいい。他人から見て見栄えがするから、やりたいという設定にしているだけじゃないのか。

内的衝動に突き動かされている場合は、それを「夢」とか「目標」とか名付ける前に身体が動いている。
夢を語るなら、そういう風に動け。

だが、そもそも夢などなくてもいいと知れ。
本当に夢に向かって力強く生きるとは何かということより、私がフォーカスすることはこの点。「夢に向かって生きること」「やりたいことに専心すること」の素晴らしさが語られるばかりに、そのように生きなければならないという強迫観念に駆られ、嘘臭い夢を掲げてしまう人間のなんと多いことか。
夢などなくていい。内的衝動であるべきものに、どうして客観的価値など与えられよう。

たしかに、内的衝動に駆られて生きる人は美しい。だが、その美しさを強調するあまり、内的衝動を夢の枷にはめるんじゃない。それは、夢とか目標とかいうリードを外したときに発動する。
この罠を、私は解きたい!

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