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ネガティブな執着

「ほしい」は欲望、「したい」も欲望。
「ほしくない」は非欲望、でも「したくない」は非欲望ではなく欲望だ。

この「したくない」という欲望を捨て去るのは難しいように思う。いや、現に難しい。
これは「ほしい」と「したい」の性質の違いによるのであろうか。

人は何を「ほしい」と思うだろうか。
物、金、名声、地位、権力…
これは他者との取り決めによって発生する、社会的な欲望である。
社会によって価値ありと規定され、それを信じているから「ほしい」と思う。

人は何を「したい」と思うだろうか。
これは感情に基づくものに思われる。
食欲、性欲、睡眠欲の三大欲求もすべて「ほしい」ではなく「したい」で表現される。
「水がほしい」とも言うが、飲むという行為を前提にしているのであって、価値を見出しているわけではない。

「したい」はそれが満たされた瞬間に快楽を伴う。だから快楽が伴うことを経験的に知っていなければ、「したい」とは思わない。まさか吸ったことのないマリファナを吸いたいとは思うまい。それでもほしいと思うのは好奇心である。
一方で「ほしい」は「それは快楽が伴うはずだ」という価値の設定により発生する。多分に仮想的だ。

ゆえに、社会的価値を相対化してしまっても、
「したくない」という執着は容易に消え去らないのである。

であるならば、この「したくない」という欲望も、
捨てることの不可能な食欲などと同一視して、素直に従っても良さそうな気がしてくる。

当然ながら、「すべきかどうか」という社会的価値判断のもとで「したくない」欲望と闘っているのではなく、
捨てたはずの欲望と同じ場所に、裏返ってある欲望に苛まれていることに煩悶しているのである。

Comments (Close):2

樹翳 07-07-20 (金) 1:11

おそらく欲望とは満たされることのないものなんですよ。

玄鳳 07-07-20 (金) 11:57

その通りですね。
だからこそ、欲望の上に欲望を重ねることを要求し続ける現代社会のあり方に絶望感を禁じえません。

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