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プロ意識のいやらしさ

私はプロ意識という言葉が嫌いだ。

何かに夢中になって取り組む姿というのは、みていて悪い気はしない。
願わくは、それがプロ意識を持ってやっているのではなく、
とにかく好きだから楽しいからやっているのであってほしい。

好きだからやっているというだけではお金はもらえない、
というのは現実的な意見であろうと思う。それは否定しない。
対価をもらう以上は、それだけのことはしなければならないと思う。
別にすべきかどうかではなく、そうしなければ仕事が来なくなる可能性が高いだけであって、
もし「好き」という衝動だけでお客が満足すればその方がいいのである。

そう、プロ意識なんてものは必要悪に過ぎない。
そんなに誇らしげに喧伝するものではない。

プロ意識というのは、「~しなければならない」という強迫観念だ。
「好きかどうかに関係なく、プロである(対価を頂戴している)以上、それだけの仕事はする」という言説は、多くの人々にとっては格好良く聞こえるのだろうか。私には、それだけどきついプロ意識を持たなければ成立しない仕事なのか、と悲しさを持って聞いてしまうのである。

もちろん、プロ意識を持つことでパフォーマンスは上がるだろう。それはいい。
だが、プロ意識を持つことには大いなる弊害がある。そのゆえに私はプロ意識を嫌う。

それは、その意識を他人に押し付けることである。
純粋に好きでやっている人は、まさか「お前も好きになれ」とは言わない。(その道の話を始めると、目を輝かせて延々しゃべり続けて、相手が辟易しているのにも気づかない、なんてことはあるかもしれないが・・・)
だが、プロ意識は命令形で語られる。原義からして自分に対する命令なのだが、それが他人にも適用される。そうしてどんどん拡大していく。
蔓延の原動力は嫉妬心である。楽しくもないことを我慢してやっているのに、他人が楽しんでいると困るのである。

ここまで来れば、なぜ大勢の人がプロ意識を肯定するのかが分かる。
みんな大して好きでもないことを真面目にやっているからである。プロ意識とは、そんな彼らの鬱々として愉しまざる日々の営みを認めてくれる代物なのである。

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