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人命は地球より重いか

たとえばテロやら自然災害やらで、大勢の人の命が危険にさらされると同時に、歴史的・文化的遺産の破壊も危惧されるような状況のとき。私は、数百数千の人の命よりも、貴重な遺産の方を心配してしまう。

「人命は地球より重い」という言説に、私は素直に肯んじることができない。
そんなことは建前であって、皆さんだって遺産が失われることの方が惜しいと思ってしまうでしょ?人は死んでもまた再生産できるけど、その神殿は、その仏像は、一度破壊されたらもう二度と元には戻らないんだよ。
もちろん人だって、同じ人なんて二人とはいないわけで、失われる二つとないその命は二度とは戻らないことだって判っている。だけど、その個々人の違いは最重要視するほど価値のある違いだろうか。大衆の価値は数であると考えれば、人命は再生産可能と言える。
この社会ではとんでもない暴論だとも受け取られかねないが、感覚的に私と同じように感じる人は決して少なくないと思っている。

じゃあ私や、私と同じように考える人が冷血な人間かというと、そういうわけでは決してない。
先に例として挙げた事件に、私の直接の縁者が関わってくると話はがらりと変わる。彼もしくは彼女の命を最優先に考えるだろう。
手前勝手だと非難されるかもしれない。いかにも、その通り。人は実にエゴイスティックなものだ。その自分のエゴに気づかないで、人道性を自認しているほうがよほど危険だ。

自分のそのエゴを認識した上で、私はその感情を押し広げて他人の想いを慮ることもできる。先の例では、自分自身あるいは自分の近親者が危機に陥っている人の心痛を察することもする。だから彼らが人命最優先を叫ぶ気持もわかるし、それを汲み取ってやるべきだとも心底感じる。
それでも人命を何にもまして守るべきものだ、と言い切れない感覚を抱くことは否定できない。感じてしまうものは仕方ないので、それは間違っていると矯正するのではなく、他人事を他人事と感じてしまう人の性を認めたうえで議論したい。
とりあえずお互いに偽装された安心感を得られるがために、「人命は地球より重い」とかいう建前で話し続けるより、もうちょっと本音でしゃべった方が建設的じゃないかという話だ。

とは言ったものの、大衆は建前がないと生きていけないほど不安定なのも分かっちゃいるんだけどね。

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