- 2007-12-12 (水) 22:56
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子どもの頃からサザエさんが嫌いだった。
日曜の終末を実感させるからというのももちろんあるが、「サザエさん」で描かれる平凡な家庭の日常という題材が大嫌いだった。そんなもの見たくなかった。
アニメという夢の世界の中で、何が楽しくて「日常」を見なければならないというのか、子どもながらに苛々した。男は仕事に行き、女は家事をこなし、子どもは学校に通う。憂鬱な平凡。退屈な繰り返し。
ただでさえ自らの一般性に自らの存在が圧死させられそうな恐怖にかられているというのに、子どもの娯楽にまでその日常はにじり寄ってくるのである。
金髪の戦闘民族みたいに宙に浮いたりエネルギー弾を飛ばしたりもできなければ、指鉄砲から発射される霊気で妖怪を倒せたりもできない。もちろん、ネコ型ロボットが未知のアイテムを提供してくれたりすることもない。
私に用意されたステージは、学校に通って、会社に入って仕事をして、家庭を作って、せいぜいお茶の間で談笑する・・・特別なことなど何もない、私の存在はそこらに溢れかえっている一般人と大差ない希薄なものなのだ。サザエさんを見ていると、そんな現実を冷徹に突きつけられる思いがした。
それが現実?
ほんとに、それが現実なのか?
周囲が立派な社会人として、社会に、サザエさん的日常にきちんと埋没しようとしているのに、社会に吸収されてみた自分に吐き気を催した私は堪らずすぐに飛び出した。
私はいまだにサザエさんが嫌いだったのだ。一生好きになれそうにない。
Comments (Close):2
- 樹翳 07-12-13 (木) 14:52
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おそらくですが、世間においてはサザエさん的日常という非日常に「古き良き時代」という幻想を懐きながら憧れてあれを見ているのではないでしょうか?
今時、お茶の間で家族そろって食事して団欒なんてないですからね。
そもそもお茶の間自体がほとんどの家で存在しないですし死語と変わらないと思います。
また、あれを良いと思わなければならないという強迫観念が世間に存在もするのだろうと思います。
私にとってサザエさんは昔からどうでも良いくだらないものなので特に意識したことはないですけどね。
だから日曜が終わるという感覚がよくわかりませんw - 玄鳳 07-12-13 (木) 18:29
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そうですね、頑固親父と割烹着を着た母さんのいる大家族なんてものは現存しませんからね。
ということは、あの時代には戻れないのだなぁ、と思っているわけですね・・・日常に追われながら、かつての日常を非日常的に感じながら眺めている・・・・
ほら、サザエさんが終わったら、次はこち亀見て、飯食って、大河ドラマ見て、風呂は入ってたら月曜日の足音が近づいてくるじゃないですか。
といっても私は高校卒業以来、あまり曜日のある日を過ごしていませんが。