- 2008-01-24 (木) 3:50
- ブログ
このエントリーは、私がこのブログを書いていることを、リアル知人により知らしめようとする意図を書いたもの。
簡潔に書くつもりが思いのほか長文になってしまった。
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私の関心は極めて反社会的な言説に傾きつつある。
それは私が社会化されて生きることへの拒絶感から生じたものであると同時に、拒絶するはずの社会性を多分に内在しているがゆえに生じるその拒絶感への拒絶感とも言うべき罪悪感への抵抗が生じさせたものである。(その抵抗こそがまさに社会性の特徴たる志向性を備えていることには自覚的であることは付言しておく。)
私のこの社会に対する拒絶的態度の起源に捻れが発生しているとはいえ、この拒絶に正当性を与えても良いと考えていることも事実である。
しかしながら、あくまで反社会的であるがゆえに、私の発しようとする言説は、私の社会的な活動上においては到底受け容れられるべきものではない。それを察知する程度の社会性を有する私は、私の言説を強く封印する。
この状況は私には苦痛である。
・・・もう少し平たく言おう。
私は仕事をするのがめんどくさいと感じている。概して生活のために、お金のために、働く即ち時間を投下したくないと思っている。しかし、この正直な欲望は道徳的には到底認められない。そしてすぐれて道徳的な私は、自分の反道徳的な欲望を抱いていることに単純に苦しむのではなく、私の方がより正しいのであり、社会一般の考え方に見直すべきものがあるのだと考える。
これは「まじめに」働いていないことへの自己弁護の意味も備えている(ことは自覚している)が、正当な主張であるという確信もまた同時にある。
しかし、この考えは社会一般には受け容れられない。殊に「一生懸命に」仕事をしている所謂ビジネスマンには理解に苦しむものであるばかりでなく、彼らの生き方の否定にしか捉えられない。
にも関わらず、やはり生活の糧を得るという手段を取る場において、相対するのはそんな彼らなのである。彼らに私の思索の一端を喋ることができようか。それは何も彼らからの反発(およびそれによる仕事への悪影響)をおそれるからではなく、彼らの盲目性を暴いて叩きのめすことへの遠慮からなのである。(というか、これまた闘争への単なるめんどくささの忌避であるが。)
こうして耐えられる範囲内での社会への馴化を図っているが、これはストレスに他ならない。見下している社会的な文脈に沿って振舞う自分への気持悪さを禁じえない。
ではどうするか。
このブログを晒すことによって、直接的に喋(って対応≒闘争す)ることのめんどくささを省いて、私の言説を相手に伝えるのである。そうすることで彼らに社会的な文脈で私に接することへの遠慮を生じさせるのが狙いである。もし、彼らの反発を招いて仕事に支障をきたすならば、やりたくないことをやらなくて済むことになり、大いに結構なことだ。私としては彼らに社会化された畜群としての烙印を押すだけですむのだから。
別に理解してもらえなくても良いのである。というか、おそらく理解しえない。(この場合の「理解」とは、承認や否認以前の、認識の謂いである)
「何かよく分からないけれども、すごい(難しい)ことを考えているようだ」という感想さえ持ってもらえればよいのである。そして、「一生懸命に仕事をしなければならない」という仕事における彼らの根本的原理(まさに道徳!)に多少なりとも揺らぎを生じさせることが出来れば、権威的な圧迫を避けられるのではないか。少なくとも彼の動揺(までいかなくとも混乱)を、私が確認できれば、私は社会性に馴化することなく強気に出られる気がしている。
実は「何かよく分からないけれども、すごい(難しい)ことを考えているようだ」という評価こそが、私が求める最大の賛辞であったりする。「わかる、わかる」という安易な同意は期待はずれの虚しさを伴う。
などと言うと、より一層コメントしづらいか・・・(苦笑)
なお、私の言説がインテリを気取った若者が陥りがちな底の浅い思考であることも薄々感知しており、未知の思想に触れるたびに地団駄を踏みたくなるほど自身の才智の限界を日々思い知らされていることにも言及して、卑怯な防護壁を築いておく。(この城壁から外に出るべきなんだな。)
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Comments (Close):5
- あすか 08-01-24 (木) 12:56
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そういう企図だったんですね(・∀・)!
私は受け入れられなかった場合の怖さや面倒さを想定してたんですが、それが求めるものであるなら、非常に合理的だと思いました。 - あべ 08-01-24 (木) 23:32
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そうだな。その城壁から出ようぜ。今すぐじゃなくてもいいしね。
玄鳳くんの言葉から「社会」という単語すら出てこなくなる日がくるのを楽しみにしてるよ(誤解釈ならスマソ)。
- 玄鳳 08-01-25 (金) 4:10
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>あすか
やはり正面きって宣戦布告も気が引けますのでね。
もしかすると、思わぬ人と面白い議論ができるかもしれませんしね。>あべ
この場合の城壁とは、臆病から生じる過剰な自己防衛のための理論武装ですね。そこから出るということは、(無用な)恐怖を捨て去るということです。行く先は無為自然。そうありたいと思います。
ただこの場合、街に出ようよという誘いに聞こえるけど、どうなんでしょう?(「働くのも楽しいよ」的意味なら申すところあるのですが・・・)
時には街に出て遊ぶのも良いと思いますが、街で仕官する方向には向かいません。私は壁を取っ払って、柵のない竹林に遊びます。 - 山P 08-01-27 (日) 21:12
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歩攻めですか!陣形を保ちつつ、じわりじわりと現在の社会への抵抗といか拒絶とういか。
ヒトは皆同じ思考をしていない、暗中模索、様々な思想・思慮あって当然。経済社会と思考世界は必ずしも合致しない。考える事をやめれば、経済の一生産機にすぎなくなる。 - 玄鳳 08-01-27 (日) 23:39
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私は経済社会の外の言葉を使って語っています。ゆえに定義からして経済社会に馴染まない。
私はそれに、弾かれてしまう(というは、きっと私の妄想)ことに抵抗したいという欲求があるのです。でもきっと闘う必要なんかないのですよ。