- 2008-04-08 (火) 4:37
- ブログ
洗濯の何が面倒かって、やる気になったときに作業が完結しえないということ。
洗濯機を回したはいいものの、洗濯終了のアラームが鳴る時に洗濯物を干す気が失せていないとは限らないでしょ。ましてや、洗濯物が乾いたときに取り込んで畳む気が起こるかどうかはもっと分からない。
起床するのだって、そう。就寝時に「7時に起きよう」なんて思ってみたところで、翌朝7時に起きたいかどうかなんて分かりっこない。いや、まだ寝たいに決まっている。
(でも、マジメなボクは寝坊したりしないけどね。)
何が言いたいのかっていうと、その時の気分のおもむくままに生きていたいわけよ。
たとえば30年のローンを組んでマイホームを買う人の気持ちが知れない。そんなことをしたら、私だったら強迫観念に押しつぶされて病気になるのがオチだ。今の仕事をずっと続ける気でいるか分からないし、住む場所に飽きない保証もない。
そもそも今日の自分と明日の自分が同じだということに疑問を持たないことが異常なんだよ。
食べたいときに食べて、寝たいときに寝る。
でも一般に社会に生きる人間にはそれが許されない。それどころか、スケジュールに従って行動できることが理想とされる。なんて馬鹿げているんだ、と私なんかは思ってしまう。
この疑問というか違和感は幼い頃からあったらしく、時間を拘束されることに極端に抵抗した。ファミコンがしたくなった時にファミコンができないのはありえない!という理屈で、塾も習い事も断固拒否した。もちろん四六時中ファミコンをやっていたわけではないけれど。(いや四六時中やっていたかもしれない)
こういうのは普段から時間にルーズなちゃらんぽらんな人が言っても、詭弁にしか聞こえない。私みたいに、社会のルールを遵守するかなり模範的な人間が言うと少しは意味があるんじゃないかね、と勝手に思っている。
「ちゃんと、まじめに」という強迫観念に駆り立てられて己の首を絞めていることを自覚している私こそが言うべきなんだ。そんなのくだらない、なんてね。