玄鳳のハネ思索書評造物三国志

白痴か狂人か

この世界は認識されることによって現象する。認識とは、とりもなおさず言葉である。まず言葉がはじめにある。

その認識を通さず、ものごとを「ありのまま」にみるためにはどうすればよいのか。
この場合の「ありのまま」とは、言葉を使って認識しないことである。論理によって理解しないこと、混沌に穴をあけないこと、力への意志を感受すること、内と外を区別する輪郭線を引かないこと。

その状態がありうるとするならば、白痴か狂人になるしかないだろう。
意味を固定化されたような通常の言語を使えないのであるから、もうコミュニケーションは図れない。それは「人として」ある、とは既に言えない状態になってしまう。
「言語の使用」がヒトの他の動物と区別する特徴である点に合致する。というか、そんな区別自体が言語のなせる業なのだけど。

それでいいのか、という話。
そもそもなぜ「ありのまま」にみるべきなのか。
区切りを入れることが苦悩の根源だから、ということは言える。

だが、その区切りを入れる作業によってこそ、美しさを感じることができるのだとも言える。認識は彩色である。
その色を楽しみながら、その色に惑うことない「ありのまま」を生きることはできるか。

トラックバック(0)

コメントする