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電報はゾンビ

友人が結婚すると聞いた。結婚式の二次会に呼ばれたが、残念ながら不参加。遠隔地なのもある。

祝電くらい送ってやろうと思ったが、電報である必要がどこにある?
本来的な電報の役割を考えると、即時性だろう。しかし、これはもうメールの方が遥かに勝っている。
メールになくて電報にあるものといえば、形(紙)として残る点だろうけど、だったらメールをプリントアウトすればいい。そもそも電報自体が、印刷物なんだから。
印刷用紙に書かれた文面だけではなくて、飾りの枠が欲しいということだろうか。

メールに比して異様に高い電報の値段は、ほとんどこの飾り枠による。
しかし、あの飾り枠にどれほどの意味があるのか。テンプレートから選ぶだけだから、結局誰も彼も同じものになる。無駄と言わずして何と言う。
しかもその枠にはランク付けがあって、豪華になるほど価格は上がる。それによって何を示したいのか、よく分からない。実にいやらしい慣習だと思う。

メールを操作できない、もしくはメールを送信できる環境にない人のための電話以外の通信手段として、残しておいても良いとは思う。
しかし、それは細々と残せば良いのであって、無意味な装飾を付加して無理やり生かしてどうする。

よってメールにて祝辞を送ることにする。

まあ、そんなことを言う人はお金儲けができないのですよ。
それに、慶事からゾンビの話になってしまうのは、どうかと思ったw

Comments (Close):3

yasu 08-10-07 (火) 21:58

「電報」っていう、今はあまり使われていない、昔ながらの歴史や背景を持つものとしての意味があるんじゃない?
メールと比べた場合の重さと軽さ、みたいな。

樹翳 08-10-07 (火) 23:38

無駄な装飾こそが人間性なのかもしれませんよ

玄鵬 08-10-08 (水) 1:25

>yasu
うむ、古きものに風情を見出すこともできるね。しかし、とても人々がそう思いながら電報を打っているとは思わない。
「式に参列できないなら、挨拶は電報で」っていう形式が、再考もされずに残っているってどうよ、という問いかけ。

>樹翳
あー、そうですね。
そもそも無駄じゃないものなんてありませんしね。

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