- 2008-11-05 (水) 7:51
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しきりに叫ばれる若年者の勤労意欲の低下という社会問題は、経済成長が鈍化し、加えて少子高齢化が進むことにより、年功序列や終身雇用の制度が破綻し、若年者が働き続けても収入の増加が見込めないことによる、と考えるのが主流な考え方のようだ。働いても報われにくい状態であるから、やる気がなくなるのであると。飛躍的な経済成長や少子高齢化の趨勢を大きく変えることが望めない中で、若年者が働き甲斐を持って働ける労働環境をいかに作りうるか、というのがまともな課題の設定であろうと思う。
しかし、私はこのような事態の捉え方に違和感を抱いている。彼らの底流にある閉塞感のようなものは、先に希望を見出しにくい現在の社会の趨勢に起因するものではないと思うのだ。もっと正確に言うなら、この社会状況に至って現出してきたものではあるが、それ自体は人間が本来的に抱えている病理であるように思えてならない。ゆえに、この状況を打破するために真っ当に社会の変革に挑んでも、抜本的な解決には至らない。
どういうことか。
日本は充分に豊かになった。労働問題を語る際に必出のニートやフリーターも、飽食を享受している。この満ち足りた(はずの)状態で、一体何を求めていくことがあろうか。それでもなおハングリー精神を持ち合わせているのは、かなり病的だ。満腹中枢が壊れているとしか思えない。
つまり、やる気がなくて当然である。もうどこを目指す必要もないのだから。あとは、刹那的に快楽を追求することになる。
と、ここまでなら、ハッピーな人々が享楽的に遊ぶおめでたい話で終わるのだが、現実にはそうではない。
生存に余裕が出てくると、人間は余計なことを考える生き物らしい。今日の労働が、明日の豊かさという意味を持っていた頃はいい。しかし今や、生きる手段に使うメモリが減った分、脳は生きている意味を捻出するためにもがき出す。だから適正年収が気になるし、勝ち負けを決めたがるし、格差を鮮明にする必要がある。隣近所で比較して、自分の意味を確かめようと必死になる。
「生きる無意味さ」というかつては裕福なエリートだけのものだった悩みに、かなりの人間が陥るようになったのである。
だからこの閉塞感は必然である。この社会のあり方に欠陥があるわけではない(ないわけでもない)。欠陥があるとすれば、人間という生命体に、であろう。
したがって、「希望の持てる社会に」という問題提起は誤っている。「希望なんかなくても楽しい”世界”に」である。これはもう政治とか経済とかの話ではなく、宗教とか思想とかの話である。
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- 京虜 08-11-05 (水) 23:48
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All Hope Is Gone…全ての希望は失われた。
まずそこからはじめようや。
てかこの前も言ったが「夢は信じればかなう」なんて綺麗事よりこの方が励まされる気はするのはなぜだ?w
- 玄鵬 08-11-06 (木) 0:26
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信じられなかったら叶えられないわけで、それは自分に懸かっていることを強調されていることになり、未来の己の責任を追及されているようで怖い。
希望なんかなければ意味が剥落し、どんな惨劇も軽く受け流せるようになるからじゃないかな。とマジレス。
俺も「どうせ死んでしまう」と考えると気が楽になることがよくある。