- 2008-11-26 (水) 19:32
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自転車での通りがかりに、工事現場のおっちゃんらを見て思う。
たとえば、私が充分な不労所得で生活できるようになったとしても、世界の理不尽さを何も解決することにはならないではないか、と。
非常に不本意ながら私の目下の課題は、いかにして充分な収入を確保するか、にある。
だが、そのような生活のための努力が、私のこの世界の理不尽さに少しの解決ももたらさないであろうことを思うと、いっぺんに気が失せてしまうのだ。さらに、そのような努力の成果が得られたときに、根源的な理不尽さを忘れて俗物と化してしまうことをも怖れる。
まぁ、半分は言い訳だ。
生活のために強迫観念に駆られて社会に参画することが厭で厭でしかたがないだけなのだ。そうではあるが、この厭世観だって世界の理不尽さを直感してしまうがゆえであることは疑いない。
厭だと言ったって仕方ないのは確かだが、同時に厭だと思ってしまうことも仕方ないのだ。行動力のなさをいかに貶されようとも、理不尽さへのこの感性だけは批難される謂われはないと思う。
こんな風に負の螺旋階段を降りているように見えても、実際の生活上のことはなんとかなるんじゃないかと思っている節があるし、事実なんとかなっている。あとは強迫観念をどう解消していくか、ということに尽きるだろうか。
あ、念のために言っておくと、私が感じている理不尽は世界のそれであって、社会のそれではない。もちろん社会の理不尽だって痛切に感じるけど、そんなことはどうだっていい。現実の社会がどうあれ、そもそも社会が理不尽でありうることが世界の理不尽なのだ。
だから、働かなくても裕福な人たちの生活を、工事現場のおっちゃんらみたいに低賃金で肉体労働を続ける人が支えている社会構造を改革すべきだ、と言いたいわけじゃない。そもそも、人がそのように理不尽であってしまうことに悲哀を感じ、歯噛みしてしまうのだ。もっとも、私が知らないだけで、おっちゃんらはそんな人生にものすごく生きがいを感じているのかもしれないけど・・・
そんなこんなで何が言いたいのかっていうと、世界の理不尽さに気付かないような、あるいは知っていても気にならないような鈍感な人は嫌いだということ。
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- わたぼー 08-11-27 (木) 10:20
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元ワープアの俺がやってきましたよ。
僕もたまにそれを感じます。
地方から出てきてんのかなぁと思う事がおおいね。
- ナカダ 08-11-27 (木) 17:33
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前半部分、かなり共感できました。
自分も同じようなことを考えたことがあるので・・・というより、今も同じような迷いを抱えているというのが正直なところかな。しかし、「社会」ではなく「世界」という考え方は興味深いですね。
- 玄鵬 08-11-28 (金) 0:55
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自分がワープアから抜け出せればそれでいいのか、って問題。いや、それはそれでいいに決まってるんだけど、抜け出せない人がいうることは必然であることにとてつもない理不尽を感じるよね。
それは、社会構造に原因をみつけられるような理不尽じゃなくて、努力した人と努力しない人がいて、違う結果が出てしまうというどうしようもない理不尽さ。私のいう「世界」とは端的に我々があるという、存在そのもののことですね。換言するなら地球ではなく、宇宙が適切。