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終わりから考えてみる

およそ2ヶ月ぶりの更新だ。
いろいろあったけれど、わたしは元気です。

なんてことは、誰も聞いちゃいない。

ちなみに、別に落ち込んだりはしていない。
しかし、会う人ごとに「痩せたね」と言われるものだから、久々に測ってみたところ体重が少し落ちていた。BMIはジョッキー並みだ。

ところで、タイトルどおり、私は物事をとかく終わりから考えてみる癖がある。
と言っても、得たい結果を思い描いて、それに向かっての行動プロセスを組み立てる・・・などという話では決してないことは、私の友人たる読者なら断るまでもないだろう。
私の考える「終わり」は、とりもなおさず「死」以外にない。

ひとは畢竟、返事がないただの屍になるのである。ならば目標など立てて努力するなど、バカバカしくてやっていられないと考えるのが道理。
と言っても、人間のあらゆる営為を否定しているわけではない。他人から見える努力堪忍も、当人には悦楽でありうる。目標志向の行為も、「目標に向かって進む」という一連のプロセスが快であるならば大いに結構なわけだ。私はただ、今ここではないどこかの未来に価値を置こうとする妄想者に、同時にその価値を他人に押し付け普遍性を担保しようとする狂信者の鼻先に、髑髏を突きつけたいだけなのだ。

と、私のマインドはどんな話題でも生きること全体の問題に拡大(あるいは牽強)させてしまうわけだが、「終わりから考える」という癖は、もっと日常的なレベルでも姿を見せることに先日気づいた。
私は買い物をするとき、その物を捨てる瞬間を想像しながら買っているのだ。
人がみな屍になるように、(消費し尽くすものでない限り)物もいつかは不要になるときがくる。来るべきその日を想像することで購買意欲が減退して、結局買わないまま帰宅することがままあったりする。

具体的に言うと、家具がまさにそうだ。
必要性がない限り、ちょっと気に入ったくらいでインテリアを買うなんてことはできない。いずれ飽きる日は必ず来る。そうすれば、それを忍びなく思いつつも、捨てる決断をしなければならない状況が生まれる。それを想像するだに切ないし、既に(私の頭の中で)ゴミとなったそれにお金を投じることも躊躇われるのだ。
あとは、ゴミの捨て方が即座に想像できないのもダメだ。たぶん粗大ゴミになるんだろうけど、粗大ゴミってどうやって出せばいいんだっけな、などと考え出すと捨てるのが面倒になって買わなくなる。

この癖のおかげで、私の辞書に衝動買いという単語はない。

Comments (Close):2

09-08-25 (火) 23:48

こんばんは☆久々の出稿、シビれました!!!
「趣味=雑貨集め」という女子がよくいますが、
私は玄鵬さんと一緒で、捨てることを考えたらなかなか買えません。
家を新築する機会があれば、まとめてコーディネートしようという
企みはあるんですけどね☆

玄鵬 09-08-26 (水) 9:41

どうも、ありがとうございます、です。
私も部屋をコーディネートしたい気持ちは無くはないですが、「めんどう」というのが最大のハードルです。

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