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世界を幸福にするために
- 2009-03-15 (日)
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世界を完全なる幸福で満たそうと考えたとき、人に目標達成を説くことはできないではないか。
なぜ今わたしがここにいるのか理解できないように、世界は理不尽にできているのだから、ある結果を志向したところで挫折しないことなど絶対に保証できない。そうであれば、目標達成を称揚・奨励すればするほど、そうならなかった者に不幸の烙印を押すことになる。
世界が理不尽であるからこそ、全ての人は救えない、だから出来る限りのことをしているのだ、という意見もある。尤もではあるが、それが幸福を志向していながら、不幸を生産しているという定義矛盾を孕んでいる以上、私はやはりこれらの活動に諸手を挙げて賛同することは断じてできない。
目標が客観的意味を持つそれではなく、内発的衝動の発動を指しているとしても、彼らの説くことが結果の成就であるならば、私はこれらの言説に疑義を投げかけ続ける。いや、固定的な結果でなく、内発的衝動の発動それ自体の推奨であるとしても、推奨対象として固定させてしまう以上、是とすることはできない。
もっと平易に言おう。「こうすればいいよ」「こうしよう」「こうしなさい」という肯定言説は、常に孕んでいるはずの「そうできなかった」可能性を否定している以上、全面肯定はできない。この言説で留まっては、世界を幸福にするということから既に逸脱しているのだ。私には「そうしてもしなくてもいいよ」という現状肯定しか残されていないように思われる。
肯定言説を述べる人もこの矛盾を承知の上であることは、先ごろ実感としてよく分かった。確かに、ひとにはそこまでしかできないのかもしれない。
しかし、私にはその妥協を許容することはできない。だから、「それでも」を言う。言い続ける・・・「こうすればいいよ」で人々を励ます人々は、それでよい。それで美しいと思う。私はただ世界の幸福を追求して、「でも、そうでなくてもいい」と叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ・・・
それには今の私では、少々パワー不足だろう。
「課題解決とか、目標達成とかくだらねぇ(笑)」と言いながら、やっていくのだから相当厳しい。
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夢とか希望とか目標とか
- 2009-03-06 (金)
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夢語るのはいいが、それに向けて既に何かの行動をしてないなら、それは夢じゃない。
そんなこと、本当に自分がやりたいと思っているのか考え直した方がいい。他人から見て見栄えがするから、やりたいという設定にしているだけじゃないのか。
内的衝動に突き動かされている場合は、それを「夢」とか「目標」とか名付ける前に身体が動いている。
夢を語るなら、そういう風に動け。
だが、そもそも夢などなくてもいいと知れ。
本当に夢に向かって力強く生きるとは何かということより、私がフォーカスすることはこの点。「夢に向かって生きること」「やりたいことに専心すること」の素晴らしさが語られるばかりに、そのように生きなければならないという強迫観念に駆られ、嘘臭い夢を掲げてしまう人間のなんと多いことか。
夢などなくていい。内的衝動であるべきものに、どうして客観的価値など与えられよう。
たしかに、内的衝動に駆られて生きる人は美しい。だが、その美しさを強調するあまり、内的衝動を夢の枷にはめるんじゃない。それは、夢とか目標とかいうリードを外したときに発動する。
この罠を、私は解きたい!
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絶食系ですが、何か?
- 2009-02-24 (火)
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上昇志向の強い高所得者層ほど、メンズエステなどに通って身だしなみに気を使います。言い換えれば、バイタリティの強い“肉食系”の男性ほど身だしなみに気を使っているのです。肉食系の代表であるホストもそう。“泥臭いこと”が美徳の一つである“男らしさ”の価値観が変わってきているんじゃないでしょうか
私はどんなに間違っても化粧はしないだろうな。「女か、男か」という観念の問題ではなく、単純にめんどくさいから。
出掛けるときはいつもメイクをする女性に、かなり本気で感心している。男は無精ヒゲでもお洒落だったりするが、女はノーメイクなだけで白眼視される虞があるだろう。(ノーメイクでも際立って美しかったら、それはもう最強)
化粧を考えると、女性は大変だなぁと思う。私くらい無精な女性はどうするんだろうかと同情するけど、そんな人いないか。
そんな私でも、以前に比べれば着るモノにはそれなりに気を使ってはいる。だがそれは、ファッションに興味があるからではない。
カッコよく見られたいという俗な欲がないといえば嘘だが、そこにこだわりはない。ゆえに一般受けするであろう服を適当に着こなしているに過ぎない。私にとって所謂お洒落をすることの重点は、社会において発言権を保持しておくことにある。
モビルスーツについて語るにしても、Gacktが語るのと、チェックをシャツインしてリュックにビームサーベル挿したメガネが語るのとでは雲泥の差。後者はホバークラフトでズゴッグどころかビグザムに(ry
唯でさえ私のような「ネガティブ」な言説は、社会では抹殺される。それでも喋ろうとするならば、端的に強者に見せるしかない。いや、むしろ強者が己を強者たらしめている価値基準を破壊するというパラドックスをつきつけたい。そんな歪んだ欲求にために、私が最も手早く使えるリソースが容姿なだけだ。
今、世の中の大半の男性は、自分が肉食系でも草食系でもないと感じる“雑食系”のはず。男の価値観が揺れ動く中、今後自分達がどう転ぶかを見極める時がきているのかもしれない。
私は絶食系。
入滅のために修行している・・・わけではなく、飯を用意するのが面倒だったり、そもそも食べるのが面倒だったりする。空腹は感じても、必ずしも食欲と連動しない。禁欲しているわけではないことが極めて重要。なお、決して小食でないことも言い添えておこう。
食べることは、生きることである。絶食系の私は、「生きること」を所与としては受け止め(られ)ない。
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帰れというのか
- 2009-02-20 (金)
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駅前の駐輪場にて。
「空きがない場合は駐輪をご遠慮ください」
引き返して徒歩で出直して来いということだろうか。
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