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映画『仏陀再誕』を観てきた

先週のことになるが、昨月公開された映画『仏陀再誕』を観てきた。
もうほとんどの映画館で公開終了しているようなので、ネタバレなど気にせずに書く。(そもそも、観に行こうと思う人はそれほど多くはないとは思うが・・・)

説明するまでもないかもしれないが、宗教法人幸福の科学の制作した映画であり、同総裁の大川隆法氏が監督総指揮をしている。
幸福の科学といえば、幸福実現党を結成し、先の衆議院選挙で全選挙区に候補を擁立したあの宗教団体である。マスコミの報道においては完全に黙殺された存在だったが、街の至る所にポスターが貼られ、街宣車や街頭演説もよく見かけるなど、(少なくとも都内では)かなりの存在感を放っていたように思う。不況や格差拡大、経済的豊かさに比して以上に高い自殺率などが社会問題として叫ばれる時世に、新興宗教の台頭を目の当たりすることは少なからぬ衝撃であった。生きる困難に直面した人々が新興宗教に縋る社会―私の印象に過ぎないかもしれないが―にどう向き合えば良いのか。先の衆院選で政権交代の陰で、私が強く関心を抱いたのはこの問題である。
今回、『仏陀再誕』を鑑賞したのは、こういう文脈においてであることをまず語っておく。

ストーリーを簡単にまとめるとこうだ。

主人公は新聞記者を目指して、新聞部で活動する美人女子高生・天河小夜子。彼女はある日突然、幽霊が見えるようになる。それがもとで、自殺した知り合いの新聞記者の幽霊に引き摺り込まれて死にそうになったところを、金髪のチャラそうな大学生の元カレ・海原勇気に助けられる。
仏教的教説で注意を喚起する勇気だったが、その忠告を聞こうとしない小夜子は、自分に突然身についた霊感の謎を探るべく、とある宗教団体の会合に出席する。だが、勇気の強引な誘導でその会合から抜け出す小夜子。事態が把握できない小夜子と、理由を説明しない勇気。そうしているうちに、その教団の教祖・荒井東作の呪いによって小夜子の弟が病に倒れる。小夜子と弟の父は、医師として全力を尽くすが原因が全く分からず絶望する。そこに現れ、弟の窮地を救ったのが、別の宗教団体を率いるイケメン青年・空野太陽。
あとは、人々を支配し服従させようとする荒井東作と、人々を救い教導しようとする空野太陽の熾烈な戦いが繰り広げられる。その戦いのスケールがすごくて、霊力や念力は序の口で、UFOの大軍やら、日本を飲み込む大津波(想念を送ることによる幻覚らしいが)やらまで出てくる。ヒロインはその美貌ゆえに、世間へのメッセンジャーとして活躍ないしは利用される。最終的には、真の仏陀を証明する闘争へと転換された後、戦いに勝利した空野太陽が仏陀の生まれ変わりとして君臨して世界に平和が訪れる、という結末。なお、小夜子は、信念を貫くことを学んだ勇気と再び結ばれ、荒井は敵だった自分を赦した空野に感服して牢獄で合掌する。

なお、空野太陽は他ならぬ大川隆法氏がモデルであり、荒井東作もまた実在の人物である某宗教団体の名誉会長をモデルにしていると思われる。

宗教団体の制作した映画なので、その主題は「当該団体の正当性の主張」であることは分かりきっている。
私の期待は、その正当性をどのような論理で示してくれるのかという点にあった。精緻な論理で神学論争を繰り広げるのか、現代思想を駆使した大胆で斬新な解釈を見せてくれるのか、ひそかに楽しみにしていたのだが・・・残念なことに善悪二元論に依拠した正当性の主張であり、信仰者の思考停止を促すものだった。
残念な点を箇条書きにしてみた。

  • 正当性の根拠に「仏陀」という過去の権威を借りたこと(つまり論証を省いたこと)
  • 権威付けにファンタジックな演出をしてしまったこと(現実的な説得力を持てていないこと)
  • 敵役に統治権力や社会の腐敗をすえるのでなく、別の宗教団体を持ち出したこと(つまり我々の直面している問題群に立ち向かう力が見えないこと)
  • しかも、最終的な主張が敵の言い分と同じく「オレの言葉を信じろ」だったこと(もはや説得力の持たせようがない)

一言でいえば、正当性の論証に失敗しているのだ。そもそもなぜ仏陀の生まれ変わりであることが正しいのかが分からないところからして問題だ。
果たしてこれで布教活動としての効果や信者の信仰心強化などの役割が果たせているのか疑問だった。この映画を観ただけで、この宗教団体が社会に広がりを見せていることについて考察してみるのは難しい。だが、信者の思考停止に基づく教導を企てている点を考えれば、警戒対象としていいかもしれない。
なお、幸福の科学の教理については作中ではあまり触れられてないので、ここでは特に議論しない。(宗教アレルギー者が多いのか、「宗教団体だから」という理由で、その言説を無定見に否定・忌避する人は少なくない。だが、我々は何らかの世界観を奉戴している以上、そのような態度はばかげている。私はそういう人がとても嫌いだ。)

さて、この作品はマジメに観る以外にも、随所に散りばめられたパロディの元ネタを見つけるというヲタク的楽しみ方もあるのだ。
ガンダム、幽☆遊☆白書、ドラゴンボール、エヴァンゲリオン、ダイの大冒険・・・
ヲタクとしては底辺の私(謙遜である)でも、このくらいは把握できたのでまだまだ仕込まれているネタはあるに違いない。何といっても声優陣が豪華なのもある。その点では一見の価値があるかもしれない。

公式サイト:仏陀再誕
宗教法人 幸福の科学 公式サイト

反応と責任

再三明言しているが、「プロ意識」とか「プロフェッショナルとして」とかいう類の言葉が、私は好きではない。
プロとして(対価・報酬を得て)仕事をする以上、それは期待に見合った乃至はそれ以上の成果を挙げることを信条とする、というような意味合いを指す。それ自体は、(残念ながら?)社会のルールであるわけで、遵守しないと生き辛いという程度でのものであって特段そこに異論はない。しかし、プロ意識がとても尊いもののように扱われる場に遭遇する度に、そのような社会のルールが設定されているという世界の理不尽に屈して生きる者たちの無自覚なルサンチマンを感じずにはいられない。
ゆえに私は「プロ意識」という言葉が好きではない。

「なぜそんなに真剣にできるのか」という質問には、「プロですから」と答えるのではなくて、「そこに山があるから」と答えてほしいのだ。
好きだからやっている者の前では、プロだから(好きかどうかはともかく)やっている者は霞む。結果が具体的にどう出るかなど問題ではない。好きでやってるのであれば、泣こうが笑おうがもうそれだけで輝いているのだから。結果を見て後悔して憾みに思うようであれば、それは好きでやっているとは言わない。世間的にどんなに最悪だとののしられようと、「わが生涯に一片の悔いなし!」と叫べる者のことを言っている。

世界は理不尽に満ちている。
まったくわけのわからない結果が襲い掛かる。その中でわれわれはどれだけ輝けるだろうか。それは、この世界に素直に反応できるかにかかっているように思う。
まず、己の内発性に身を任せること。そして、その結果をそのまま受け入れること、きちんと反応を返すことだ。結果などどうでもいいという前述の主張に矛盾するように聞こえるかもしれないが、そうではない。どんな結果であろうと、それはそれで別によく、悲しければ泣けばいいし、楽しければ笑えばいいし、悔しければ歯噛みすればいい。ずっとそうしているわけもなく、そのうち飽きてくればまた次の内発性に身を任せ、そこにある山に向かっていけばいい。
目の前の事態を受け入れられず、特定の結果に固執すると、恨み妬みそして苦しみが発生する。自分の妄念に凝り固まって、世界に反応できていない。

世界は理不尽に満ちている。
ルールは社会のものであって、われわれは世界的には自由だ。自由には責任が伴うものだが、それこそが世界に反応するということだ。
内発性を発露させ好きに生きればいい。そのためには、理不尽にもたらされるその結果を受け止める責任を負うことになる。これはそれぞれ独立したものではなく、同時にしか成立しない。世界にきちんと反応を返せる、すなわち世界がどうとでもありうるということを直感的に知っている者そしてそれを受け入れる用意のある者こそが、内発性を開放できる。
責任responsibilityは、反応responseできるということなのだ。

以下は、世界への責任について描かれている素晴らしい作品。(主人公は世界に反応できていない)
チェンジリング [DVD]

クソな社会を生きる

適当に腹ごなしするために牛丼屋に入り、そこでもっさりしたオッサンが働いているのを見ると、厭でもクソな社会を実感させられる。
店内に流れるありきたりなJ-POPが倦怠感に拍車をかける。

このクソな社会でいかに生きていくか。
クソでもミソでも社会の外などない以上、それが世界全てを満たすような「いまここ」を生きるしかない。
だから、夢や希望がないことが問題なのではない。夢や希望に縋ろうとすることが問題なのだ。外部を参照するのではなく、内部を極限まで充実させること。

ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』はそれを教えてくれる。
過去を恨むことなく、未来に期待することなく、ただ今太陽が照り月が輝くのを眺めればいい。そうすれば、地獄も監獄も天道になりうる。でなければ、どこに行ったところで同じ。娑婆だってやはりクソなのだから。

ショウガの辛さが効いた「n.e.o(ネオ)プレミアムジンジャーエール」を飲んでみた

老いって何だ

ベンジャミン・バトン」を観てきた。とても素晴らしかった。
嵐も雷も、向こうから勝手に、突如として、やってくる。
だから、最高でも、最悪でもいい。好きにしろ。

以下、ネタバレ。

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ゲド戦記

原作を読んだのはおよそ一年前。内容は忘れかけている。

世界観の演出やキャラクターのインパクトが足りないのみならず、そもそもストーリー展開に迫力がない。したがって主題を云々する以前に、娯楽としてつまらない。
ジブリ作品なのに作画のクオリティも低いのは気のせいだろうか。

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