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レビュー Archive
荘子物語
- 2008-04-05 (土)
- レビュー
荘子思想の解説書。講義のような文体で平易に書いてあるので読みやすいが、それ以上ではない感じ。
概略を知るには良いのかもしれない。
わけても道家が諸子百家の他の思想とは立脚する次元が違い、百家のうち哲学の名を冠するに値するほとんど唯一の思想であることを伝えていない。
無為は禁欲ではないのだよ・・・
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荘子 中国古代の実存主義
- 2008-04-04 (金)
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サブタイトルの通り、いかにも実存主義的。
単に『荘子』の要旨を説明するのではなく、著者の研究成果としてのより発展させた解釈が示されている。本文中に引用されている書き下し文が、甚だ意訳なのはその端的な現われだろう。実存主義的な見方と相俟って、今の私の嗜好(志向)に適った荘子の解説となっていた。
荘子思想の出発点たる人間・社会への絶望や不安を、彼(荘周)の伝記的形式で書いているのが楽しい。
後書きの文言に仄かに大戦の残影を感じさせる本書は1964年出版。ポストモダンの議論が喧しくなるよりずっと以前のことだ。資本主義に駆動されて経済成長を驀進する当時の日本において、人間の生というものに対して死に至る病を抱える者がどれほどいただろうか。そんなことを想った。
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ドン・キホーテの旅 神に抗う遍歴の騎士
- 2008-04-02 (水)
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私が読んだ「ドン・キーホーテ」の訳者が書いた解説書。
視る角度によって様々に解釈できるドン・キホーテの面白さを、実際にいくつかの見方を提示しながら解き明かしてくれる。本編たる小説を読了後に読んだ方が面白さは増すと思われる。
小説読了直後に直感的にポストモダンの契機を有していることを感じたが、偶然本書でもポストモダンに微妙に接合させようとしていたことに個人的にやや感動。全然違う思考経路だったけど。
後半、主人公ドン・キホーテの特徴を松尾芭蕉やフーテンの寅さんとの共通性で捉えようとしていたが、これは妄想に近い。特徴の掴み方が突飛だとは思わないが。
むしろ、そんなアプローチがドン・キホーテ的と言って良いのか。
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ドン・キホーテ
- 2008-04-01 (火)
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騎士道物語にのめり込んだあまり、現実と虚構の区別がつかなくなった狂気の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャとその従士サンチョ・パンサが繰り広げる冒険の物語。
著者が作中で明らかにしている通り、本書は執筆当時スペインで流行していた騎士道物語のあまりの荒唐無稽さと、そんないい加減な物語に興じる民衆への批判を目的としている。そのため、本書はそれら流行作品の偉大なパロディとして書かれた。
ところがパロディが大流行すると、今度はその「続編」なるパクリ本が出版されてしまった。これに対して著者は、正統たる「後編」を執筆することで応酬する。「後編」は、主人公ドン・キホーテを描いた伝記物語「ドン・キホーテ」(と偽者の手による「続編」)が流布している、まさに当時の現実としてのスペインが舞台となる。
物語の中で当の物語を引き込んでしまっている自己言及的な構造を持つ、すぐれてアイロニカルで諧謔に富んだ小説。
前編では狂人ドン・キホーテの突飛さからおかしみを引き出しているが、後編では彼の理想と信念を貫く一途さを好意的な眼差しで描き、その狂人ぶりを見物して楽しむ人々をむしろ醒めた目で見つめている感がある。
おそらく前編では物語の真実性など気にしない理知的でない民衆をドン・キホーテに仮託して、後編ではドン・キホーテを弄ぶ人々を以って、己の興が得られれば良いという彼らの無節操を非難しているのであろう。長らく世間に認められず不遇を託ってきた清貧知識人・セルバンテスのルサンチマンの発露だが、同時に老いて痩せ細ったドン・キホーテに自身を重ねるという自嘲ぶりも見落とせない。著者の持つ敬虔なキリスト教徒としての性質や、前編と後編を通して著者の立ち位置が変化していること、などが感じられて興味深い。
「ドン・キホーテ」というタイトルが、機知に富んだ愛すべき狂人としての作中の主人公を指すだけでなく、皮肉ながらも愛嬌に満ちたものの代名詞になるのも頷ける。
元ネタとするに値する最強の独創性を有した偉大なるパロディから、私も何か拝借したくなった。
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道徳の系譜
- 2008-03-15 (土)
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ニーチェ曰く、『善悪の彼岸』と並んでニーチェ思想への入り口となる著作。
読み手による丁寧な解釈を必要とする格言調ではなく、論文の体裁をとっているので理解するのにそれほど難解ではない。論文とはいえ、ニーチェの叫びに近いパトスが迸るのが訳文からも伝わる。
道徳が形成された過程を、貴族的自己肯定による「よい・わるい」という価値基準と、僧職的反感による「善い・悪い」という価値基準とに二分する。そして社会に跋扈する道徳とやらは、まさに後者が前者を駆逐したものに相違なく、弱者による自らの強敵への怨恨の一撃であることを暴露する。そしてその価値基準は、生成条件によって自らの基準を他人に強要するのだ。
貴族的自己肯定を果たして肯定してしまってよいのかという点には一抹の疑問を感じるが、道徳の正しさの捏造を暴きだす彼の作業は、本当に胸のすく思いがする。
このとおり、彼の思想は定義からして反社会的なものでしかありえないが、それを堂々と宣言するニーチェに、私は勇気付けられてしまうのであった。
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中国思想を学ぶ人のために
- 2008-03-14 (金)
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中国の思想を、春秋時代から清朝まで時代を追って解説する書。老荘思想と仏教を中心に、儒教と道教も含めて中国思想(宗教)史の変遷を理解できる。
概して中国は政治への関心が極めて強いため、その思想も勢い政治哲学にならざるを得ない。そもそも漢代に国教と認定された儒教が、経世済民という政治目的を主眼に据えたすぐれて道徳的な思想である。
一方で、インドから西域を経由して渡来してきた仏教も、その世界のあり方を探求した概念的思索は削ぎ落とされ、きわめて中国的な実践的かつ具体的な救済としての手段へと消化されてしまった上で普及した。
あくまでも社会的秩序形成の必要性を前提とした上でそのあり方を問題とした儒教に対して、哲学的な思索を深め個人の生き方を問うたのが老子や荘子たちによる道家の思想である。なお、道教は後漢末期から現れた民間信仰に端を発する宗教であり、老荘思想を教義に採り入れてはいるが、思想的探求を行う道家とは系譜を一にしない。
中国において、哲学的思弁が精錬される素地がないのがよく分かる。結局は政治の追従者に、あるいは単純な経世済民の方向に流れていってしまい、変形した(捻じ曲げられたようにしか私には見えないが)仏教が残念に思える。
そんな中で、老荘思想が哲学性において最強であるのは明白だ。これは西洋哲学にも対抗しうるだけの力があるように、私には思える。特に、六朝時代の政界という俗世から隠遁した者たちの思弁を私は辿りたい。
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