第4の座標系
クソな社会を生きる
- 2009-06-16 (火)
- レビュー
適当に腹ごなしするために牛丼屋に入り、そこでもっさりしたオッサンが働いているのを見ると、厭でもクソな社会を実感させられる。
店内に流れるありきたりなJ-POPが倦怠感に拍車をかける。
このクソな社会でいかに生きていくか。
クソでもミソでも社会の外などない以上、それが世界全てを満たすような「いまここ」を生きるしかない。
だから、夢や希望がないことが問題なのではない。夢や希望に縋ろうとすることが問題なのだ。外部を参照するのではなく、内部を極限まで充実させること。
ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』はそれを教えてくれる。
過去を恨むことなく、未来に期待することなく、ただ今太陽が照り月が輝くのを眺めればいい。そうすれば、地獄も監獄も天道になりうる。でなければ、どこに行ったところで同じ。娑婆だってやはりクソなのだから。
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水漏れ
- 2009-06-15 (月)
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メタファーではないw
洗濯機の底面から出ているパイプに穴が開いたらしく、洗濯中に水が漏れて床に水溜りができた。穴が開いた瞬間は脱水中で、流れ出した水量は大したことはなく、幸い家財にも実害はなかった。この洗濯機、借部屋に備え付けのものだったので大家さんに連絡したところ、新しいものに買い換えるとのこと。ちなみに、今のはハイアール社製。
実はこの洗濯機には前科があって、以前にも水漏れが発生したことがある。その時は、大家さんの義父さん(電気屋)に応急処置的修理を施してもらった。江戸訛りだったのが印象的だった。
はてさて、新しい洗濯機が届くまで近所のコインランドリーを使うしかないのだが、折悪しく季節は梅雨。小出しに部屋干しすべきなのだが、傘差してコインランドリーを往復するのは二重に億劫だ。
ここで私の感じる洗濯の面倒さはどこにあるかという話を書こうと思ったけど、なんだか不平屋っぽくなるので止めた。常に不満を抱いているように見えるかもしれないけど、ポジティブ思考なんかで覆い隠さないだけだよ?
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浮遊は恐怖だ
- 2009-06-11 (木)
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既に書いたように、先日、恐竜展を観るため(正確には、急遽予定変更で観ることにして)国立科学博物館に行ったときの話だ。
爬虫類の黄金時代を堪能した後、常設展もざっと観覧した。初めて来た気もしつつも、以前にもしっかり来て観ている展示だ。
今回初めてだったのは、シアター36○という球形の映写施設。その名の通り球形の部屋の内壁が360度全てスクリーンになっており、観客は球形の空間の中心を貫く橋の上に立って観賞する。橋の両端はそれぞれ出入口のドアに繋がっている。
スクリーンには、たとえば宇宙空間や、地球上空や海中などが映し出される。360度の映像なんて、それ自体はとてもワクワクするし大好きだ。
しかしながら、それでも前後左右上下どこを向いても映像が映し出されているのは浮遊感があって気持ち悪くなる。上映時間は8分と短いが、正直それで充分である。やはり人は確固たる足場を欲するものなのだなぁと実感してしまった。オレハドコニイルンダ
360度スクリーンと言われると、即座にモビルスーツのコクピットを思い浮かべてしまうのは、ガンヲタの性。
360度全てが星空というのは、地上に暮らす者にとってはとても恐ろしいに違いない。宇宙空間に適応したニュータイプになるためには、完全に浮遊した足場などない世界に慣れなければならないのである。地球の引力に魂を引かれた者たちが、安心・安定を得たいがために、いつまでも意味や価値の重圧をかけ続けるのも無理はない。
かと言って、無重力(無意味)を識る者に意味の引力をかけることを肯んじるわけにはいかない。彼らは「(ニ)チジョウ」に安住できるわけでもなく、そして意味の引力を突破することもできないまま、延々と自由落下(衛星軌道)を続けることになる。安定をもたらすはずの意味の精神に矛盾する以上、これを看過することはできない。
ともかくも、そういう所在なさを感じられるので、シアター36〇は楽しい。解像度が粗かったのは残念だが、そこは今後のクオリティ向上に期待したい。
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エスカレーターにお乗りの際は
- 2009-06-08 (月)
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地下鉄駅の構内放送が非常にうざい。
エスカレーターにお乗りの際は、手すりにお掴まりになり、黄色い線の内側にお立ち下さい。
エスカレーターからお降りの際は、前の方に続いて、順序良くお降り下さい。
壁にはエスカレーターで歩くな(正確には、「ご注意下さい」だけど)とまで書いている。
利用客のケガ防止ではなく、ケガに伴う補償を要求されることの阻止なのであって、それを聞かされるのはとても耳障りだ。
上述のエスカレータの構内放送から、社会からの逸脱を阻止し、システムに絡めとろうとする流れを感じる私は、こんな感じに聞こえる。
人間としてお生まれの際は、手に職をお持ちになり、道徳の内側にお立ち下さい。
社会に進出の際は、前の方に続いて、順序良くお勤めください。
従わなかったら、どうなってもシラネーよ、っと。
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マイブーム
- 2009-06-06 (土)
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クオリティの低さに定評のあるYahoo!知恵袋でマジレスすること。
出没してみているのは、人生相談系、恋愛相談系、就職相談系の質問。まれに実存的問いに近接する質問もあるものの、基本的には没入的質問で溢れかえっている。
これはリアルでも実感済みだが、没入者の質問にマジレスしようとすると、まずその質問自体の不適切性の指摘から始まる。
たとえば「○○社で営業で就職したいが、どうすれよいか」という問いには、お前は本当にそれがしたいのか、ただ就職しなければならないから適当な「なりたいもの」を探してきているだけじゃないか、という質問者自身の錯誤の訂正から始めなければならない。目的を達成する手段を問うていても、その目的の正当性に揺らぎが感じられる場合、質問に素直に答えてはいられない。
他によく見受けられるのは、「やればいいじゃん」の一言で済んでしまうような質問だ。特に恋愛相談系に多い。
具体的な解決策など必要はなく、恐怖心をほぐして背中を押してやるしかない。何もかもがうまくいく夢のような方法が提示されることを期待している場合もあるので、「やるしかないでしょ」も併用しながら答える必要がある。
没入者にマジレスをすることは、このようにイライラするほどに面倒なのだが、何と言っても最大の問題は質問者がマジレスの価値を認識できないことにある。つまり、当人の実存に迫る道を開くような回答ではなく、困っている自分を馴合い的に承認してくれる回答をベストだと感じてしまうのだ。マトモであるが故に痛みを伴う回答に対し、人は耳を塞ぐ傾向にある。
で、何で私がそんな不毛なことをしているかというと、没入者の相談に応じる場合にはどのように話を展開していけば、実りなき慰めに堕することなく相手に納得してもらえるかを検証してみるためだ。
しかしながら、マジレスするには、Yahoo!知恵袋はシステム上やりとりが表層的にならざるを得ない困難さがある。そんな暇でもないので、このマイブームは一瞬で終了することにする。
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上野で会えなかった
- 2009-06-05 (金)
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昨日、阿修羅展を観るために上野の東京国立博物館まで行ってきた。
ところが、平日にもかかわらず、開催期間終了間際ということもあって100分待ちだったため、ばからしくなったので入らなかった。俺はディズニーランドに来たんじゃねえんだ。
代わりにといっては何だが、国立科学博物館で大恐竜展を観て来た。待ち時間ゼロ分。
子供の頃に恐竜に興味を持っていたのを思い出しながら観覧した。復元骨格を見ながら「こいつら本当に生きていたんだろうか」と、そんなことを空想しているとワクワクする。そんなワクワクと共に、1億年もの時の流れに対し数十年の生涯を費やして研究に没頭している人たちは、阿修羅を作り出してきたような人間の実存への苦悩に足を取られることもないのだろうか。んなこともないか。
あちらが鑑賞であれば、こちらは観賞なので比較するわけにもいかないのだが、歳月で言えばこちらの方が阿修羅より10万倍以上も古いんだぜ。
阿修羅はそのうち興福寺で観ればいい。
と思ったけど、7月から福岡で開催するじゃないか。なんだ帰省したときに観に行ける。たぶん混雑具合も東京よりはマシだろう。
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