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ポスト・モダンの条件

20世紀後半から盛んに議論が展開された「ポスト・モダン」という単語を定義した最初の書。大学協議会へ提出したものであり、教育機関へ向けたレポートの形式を取っている。

近代に入り、理性を特権化することによって大きな発展を遂げた科学であるが、その科学はそれ自体では正当性を持ちえないために、物語を必要とする。だが科学はその性質ゆえに、科学を裏付けていた物語を非科学的なものとして排除せざるを得ない。かくして、近代がそもそも内在していた欠陥が表面化して、大きな物語は崩壊した。
大きな物語が機能しなくなった、すなわち社会の構成員全体が共有する価値体系が存在しない状態がポスト・モダンと呼ばれる。

この事態に至って、知の正当化は遂行性とコンセンサスによってなされてしまう、とリオタールは述べる。限りなく砕いて言えば、「儲かるのかどうか」と「みんなの合意が取れるかどうか」という二つの価値基準に集約されてしまうということだ。
それでは多様な可能性が暴力的に抹殺されてしまうと批判する彼は、そうではない別の正当化の方法の提示を試みる。それが、パラロジーとして提唱されている。

大きな物語が崩壊し、テロル的な正当化がなされるまでの描写はいい。すなわち、ポスト・モダンの全体像を把握するには良い書だと思う。ただ、もっと分かり易い表現ができるような気はする。というのも、それほど難解なことを言ってはいないのに理解するための咀嚼がかなり必要に感じたため。
若干の違和感が残るのは、最終的な結論である。差異を受容することにより、新しいアイデアが発生する、そのこと自体をよしとする正当化の方法を彼は述べる。言いたいことはわかる、彼の感性もたぶん理解できる。
だが、それはやはり自己正当化の物語に他ならないのではないだろうか。脱正当化し続けることこそ、正当化を保留し続けることこそ、われわれが取るべき道ではないのだろうか。

もっとも、確定的な結論を提出することを回避することがポスト・モダン的だったりはする。もどかしい。

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