私の実存体験は15年以上前にまでさかのぼる。
人生は苦しいものであるという前提のもとに、
自分が、ここに、こうして、生きて、存在する、ということの虚しさに苛まれていた。
そうして投げかける問いは「自分がいなかったらこの世界はどうなっていたのか」ということである。
自分がいなくても、おそらく世界はこのままだ。
私がいないことを当然のこととして、家も学校も動いていくだろう。
「では私が住んでいるこの地球がなかったら宇宙はどうなっていたのか」
おそらく広大な宇宙は、小さな地球という星があろうがなかろうが、
大差なく動いているだろう。
「では宇宙がなかったらどうなっていたのか」
この問いを発した瞬間に、私は全身の毛が逆立つような空恐ろしさを覚えた。
当時の私にとって、宇宙というものが全ての存在を内包するものであった。
その宇宙が存在しないことを想定することは、存在するものとしてある私には不可能なことである。
何も存在しない、という状態。
それに想像力を向けた瞬間に、存在するあらゆる事物がその意味を失った。
何もないとはどういうことか、を考えた瞬間に、それでもただ在るだけのこの世界の存在が迫ってきた。
小説の評というのはあまりに難しいので、以上私の体験を述べてみた。
作中の主人公ロカンタンの実存体験から、私も嘗て感じたその感覚を思い返しながら読んだ。私の場合のそれは吐き気としては襲ってこなかったけれど。
街中やカフェにおける民衆の描写を読むにつけ、サルトルの「お前らとは違うんだよ」という意図がありありと窺える。
あらゆる意味の欠落を目の当たりにしてしまった者にとって、生きることに対する惰弱さはぬぐいようもなくなる。没入して生きる人々との違いを明白に感じていながら、それを示すものがない。
彼らとの違いを示せるものを欲しているのだ。私にはそう思えた。
この記事に対するトラックバックURL
http://genhou.s219.xrea.com/mt4/mt-tb.cgi/472
コメントする