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実存主義
荘子 中国古代の実存主義
- 2008-04-04 (金)
- レビュー
サブタイトルの通り、いかにも実存主義的。
単に『荘子』の要旨を説明するのではなく、著者の研究成果としてのより発展させた解釈が示されている。本文中に引用されている書き下し文が、甚だ意訳なのはその端的な現われだろう。実存主義的な見方と相俟って、今の私の嗜好(志向)に適った荘子の解説となっていた。
荘子思想の出発点たる人間・社会への絶望や不安を、彼(荘周)の伝記的形式で書いているのが楽しい。
後書きの文言に仄かに大戦の残影を感じさせる本書は1964年出版。ポストモダンの議論が喧しくなるよりずっと以前のことだ。資本主義に駆動されて経済成長を驀進する当時の日本において、人間の生というものに対して死に至る病を抱える者がどれほどいただろうか。そんなことを想った。
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嘔吐
- 2007-08-16 (木)
- レビュー
私の実存体験は15年以上前にまでさかのぼる。
人生は苦しいものであるという前提のもとに、
自分が、ここに、こうして、生きて、存在する、ということの虚しさに苛まれていた。
そうして投げかける問いは「自分がいなかったらこの世界はどうなっていたのか」ということである。
自分がいなくても、おそらく世界はこのままだ。
私がいないことを当然のこととして、家も学校も動いていくだろう。
「では私が住んでいるこの地球がなかったら宇宙はどうなっていたのか」
おそらく広大な宇宙は、小さな地球という星があろうがなかろうが、
大差なく動いているだろう。
「では宇宙がなかったらどうなっていたのか」
この問いを発した瞬間に、私は全身の毛が逆立つような空恐ろしさを覚えた。
当時の私にとって、宇宙というものが全ての存在を内包するものであった。
その宇宙が存在しないことを想定することは、存在するものとしてある私には不可能なことである。
何も存在しない、という状態。
それに想像力を向けた瞬間に、存在するあらゆる事物がその意味を失った。
何もないとはどういうことか、を考えた瞬間に、それでもただ在るだけのこの世界の存在が迫ってきた。
小説の評というのはあまりに難しいので、以上私の体験を述べてみた。
作中の主人公ロカンタンの実存体験から、私も嘗て感じたその感覚を思い返しながら読んだ。私の場合のそれは吐き気としては襲ってこなかったけれど。
街中やカフェにおける民衆の描写を読むにつけ、サルトルの「お前らとは違うんだよ」という意図がありありと窺える。
あらゆる意味の欠落を目の当たりにしてしまった者にとって、生きることに対する惰弱さはぬぐいようもなくなる。没入して生きる人々との違いを明白に感じていながら、それを示すものがない。
彼らとの違いを示せるものを欲しているのだ。私にはそう思えた。
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